2016
08/19

母のルーツ


多くの人から母の若い頃の話を聞く。

東京大空襲を受け大好きな志津川町に来た
石母田医院の婦長として働いていた
場所は震災前の図書館の前の佐千代組・丸一商店の場所にあった
二階建ての木造で35年のチリ津波で倒壊した
医院長夫婦の被災にあたり子供さんが
東京からヘリを使って救助にきた

私は耳鼻科にかかり耳の治療をしました
周辺の人たちの多くが利用し志津川病院より繁盛していた
看護婦さんは登米市の米谷・浅水などの人達だった

志津川の戦後からの復興途上の時代だった。
今日は母、千葉宮子の葬儀を大雄寺で行う。孫が6人とひ孫が5人、甥っ子・姪っ子などの赤ちゃん・幼児・10代・20代を含めると、大人より多くの次の時代を担う、千葉家筋の子供達が、その地を引く。

部屋の隅から、子ども達を笑顔で見つめる母の姿が、私には見える。
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