2016
08/17

忍耐と優しい母


可憐で、頑張り屋の花のごとく生きた母

私は喧嘩している、怒った母の記憶がない
あえて言うなら、父との口喧嘩ぐらいかも知れない
震災で認知が加速し、言う事を聞かない母に、辛さをぶっつけた
その後、施設で3年余りを過ごし、認知は影を潜め、おだやかな姿に帰った

母は我慢強い人で、大きな怪我の痛みも、それを「一人でなんとかする」、それが仇になり病をこじらせた事もあった
躾は厳しく、よくお尻をつねられた
営業の母は、人を騙したり嘘をつく事をしなかった、根気強くお客さんと接し、その努力の姿に、多くの人から愛され、父を千葉家を守り助けた
人に憎まれたり、蔭口を言う人を私は知らない
そんな母が亡くなった

母の姿を自分も「ずーっ!」と追いつ付けていたのかも知れない
施設に入り何もできなくなった母、一緒に居ない家庭は穴が空いたようだった、家族三人がいつも繋がっていた
美人な登米市米谷からの花嫁は、お棺の中で当時の美しさに戻った気がする
かあちゃん、ありがとう。

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