2016
08/12

自分の生き方を貫こうと誓う


「阿部清敬先生御苦労様」
昨日は仙台で逝去された近所の清敬先生の葬儀に参列させてもらった。大雄寺の駐車場は車で満杯となり、止める場所が無いぐらいの参列者が、被災住民の再建が終わらない中で集まった。校長会の本吉支部長として、志津川教育長として、本吉郡の多くの学校の教師として、そして校長として、教員の指導に当たって来られた。宮城県教育事務所指導主事として、これからの学校と先生の指導にも尽くされた。初代の志津川海洋青年の家の所長だった事も初めて知った。
戦争にも出征し、本吉町の津谷小学校に宮城師範を卒業し初任地として、戦争の混乱が続く中で、当時の5年生を受け持った。当時の教え子には元本吉町長の千葉仁徳氏がおり、弔辞で先生との繋がりと教えを語った。
先生は生活の苦しい貧しい生徒に心を寄せてくれた。争いごとが嫌いで、1.聞く耳を持ち誠実に2.相手を思いやる聞く耳を持つ事3.笑顔で相手に接する事。この三つ等を先生に教わったと語った。相手の気持ちに寄り添う事を自分も大切にして、75年間を過ごしてきたと言う。
両親が居ない千葉さんを阿部先生は、ずっと我が子同様に接し、家族も「本吉の孫来たよ!」と、誰隔たりのなく人に接してくれたと、幼い頃の話しをしてくれた。
元本吉千葉町長は、3期12年間で本吉町の、誰しもが安心して暮らせる「本吉町福祉の町づくり」に取り組んだ。5年生から学び長い人生の中で、先生の考え生き方を学び、それを自分の政治生命にも傾注してきた。恩師の多くの教えを大切に、我が人生に投影してきたのだと感じた。
阿部先生は家族の子供達・孫・ひ孫に看取られながら逝去された清敬先生、長い間ご御苦労様でした。同級生である父を大切に、先生の分まで長生きさせ、生まれ変わった町を見せて上げたいと思います。

昨日は同級生の母親がわざわざ石巻から私に会いに来てくれた。会う成り「ありがとう!」と按手をしてくれた。これが私の挨拶ですと話す。御年86歳まだまだ元気で安心した。
30代だろうか不慮の事故で親友は帰らぬ人となった。彼の生きざまは「一生懸命」と言う言葉がよく似合う。欲もなく良く笑って仲間で、高校卒業後も交流を深めていたが、突然の彼の死に震えが来たのを今も思い出す。我が志高3年4組は感情の強い人間が多かった。学生時代の交通事故で一人を無くし、また一人と歌津の同級生を亡くし、仏壇に線香を手向けた時の親の悲しい顔を今も忘れない。営業戦士だった先生の子供も事故死で、先月は剣道で中学校、共に母校の栄光の部の伝統守った同志が急逝した。

多くの仲間と地元で町の為に尽くされた人たちの為にも、長く生き町の姿をふるさとを離れた皆さんに伝えたい。
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