2016
07/28

愛をもっと


南三陸病院への台湾の支援は多くの人達に伝わっていた。広島からの「愛の福袋」の活動は、国内だけでなく全国に仲間がおり、機関誌には「台湾からの南三陸町への支援活動」が紹介されていた。今回の5名の方々と福袋を届ける前に、交流記念碑を案内した。
3回目のぞみ作業所への訪問は、通所生も覚えていてくれて、笑顔で迎えてくれ「こんにちは!」とみんなが答え、作業に取り組んでいた。震災から福祉施設への全国からの再建支援があり、「紙スキ」技術・機材の開発支援で、現在は多くのデザイナーと企画者や、購買への協力など、多くの「愛」に包まれた作業所と変貌した。震災からの本格事業へと、通所生・職員の一生縣命な姿が伺えた。通所生の状況を踏まえた作業に取り組んでいた。
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防災庁舎を前に長く手を合わせる姿に、被災地への追悼の気持ちが、今でも脈々と続いていると感じた。その後で小森地区を廻り、私の役目はこの後、常宿への送迎で終わった。「さんさん商店街での食事を」と話されたか、仕事の遅れもあり嬉しい言葉に頭を下げた。
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大坂のビアパーティーの商品準備以来の連絡が入った。被災地から物を送ってもらう、「印刷支部交流事業」が今も続いている。今年で4年目を迎える。被災地からの商品購入支援は、復興への大きな支援と私は位置づけている。南三陸からの3年の買い入れから、今年は「気仙沼・南三陸支部」であり、気仙沼からの商品まとめをお願いされた。少しの多忙の中で、準備をどうするか思案中である。
今日は母校に「模擬面接」と言う、小畑同窓会長の志高への支援企画を実施する。高校生の求人倍率は高いものの、就職し離職する高校生も多い。震災前は受け皿としての求人で、事業拡大の一環として1年で4人の、I・U・Lターンの母校の生徒を受け入れた。震災後には会社の流失により、若い従業員の多くが仙台圏に、再就職先を求め町を離れた。両親は「地元で頑張って欲しい」との願いも、大震災の発生で家族の考えも無になってしまった。

従業員には私の活動で大分迷惑を掛けている。2日間のアルバイトを終え、何とか仕事も軌道に乗せる事ができた。


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