2016
07/19

大震災の悲劇を観光に?


何も無い町が、日々繰り返される自然を観光にした。九州の小さな町は沿岸漁業の衰退から、子どもの頃に観続けた「海に沈む夕日」を観光の目玉とした。地元の漁師から役場職員として、観光に取り組み、その素晴らしさを追い求め、観光にと結びつけた。最高に盛り上がったのは2000年の終わりの夕日だった。「手を合わせ」「涙する」そんな光景に、ここまでやって来て良かったと感じたと言う。
南三陸町も来年の夏には「人口海水浴場」が完成し、リアスの自然を活用し観光客の誘致に向かう。「ビーチバレー大会」「海の家」など、あの賑わいが懐かしい。私も自然の「大好きな海」を、多くの来町者と家族連れの、子供たちの海に親しむ姿に嬉しさが増した。交流人口としてこんな光景が私の望む姿だ。物を買うだけが南三陸の大震災からの「恩返し」ではなく、自然の素晴らしさを全国に発信する事こそ、先人達への復興のメッセージと私は思う。
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昨日は買い物に石巻市飯野川に行った。途中、祈念公園の建築現場を通過した時の写真だ。現在は防災庁舎側の橋脚建設に着手している。観光だけの「人道橋」は被災した町民に必要だろうか、一部の観光に特化した人たちの為の、震災の箱物で木造はその維持費の負担を心配する。
飯野川では登米市の同級生とあった。還暦の祝い前に突然の欠席の連絡が入った。60年の歩みは身体に疲労が圧し掛かっていたのだろう。二度の大病は「内臓疾患」「疲労骨折」だった。長期療養を経て現場へ復帰した。「65歳まで働く」と言う。「無理せず一歩一歩進もう」と言って別れた。
出掛けると誰かに会う。顔を見つけたら声を掛けて欲しい。こないだも先輩に「かっぱ寿司」で見たよ、言われた。現在は今の生活を楽しみながら生きている。行政・政治への不満は消える事はない。

震災で殉職した職員に、県職の知人がこないだ線香を手向けにきた。「良い人だった」「貴重に人材を失ないました」と話す。町の同僚は震災での仲間の死をもっと思って欲しい。「震災復興が大変は」被災市町民も同じで、町職員として仲間の死を無駄にしない、町づくりに取り組んで欲しい。「意を継ぐ」との言葉だけの、町民・職員も少なくない。私は胸を張り被災の姿、その悲劇を伝え、この町で生き続ける。
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