2016
07/18

小松先生ありがとう


7月17日の仙台での恩師の最終章「シャンソンコンサート」に、2時から開催に合わせ午前11時に向かう。お土産にと同級生の南三陸町「山清菓房」に回り、ひまわりのお菓子を買いに行く。さんさん商店街の駐車場は100台余りの車で満車に近い。ポータルではヨサコイの団体の被災者支援の演舞が、小雨の中舞っていた。
行く前に「志津川中央区」の施工不良の現場を見に行く。仲間と知人の住宅はやり直し場所でなかったのか、住宅再建が進んでいた。以前は無い「擁壁」が整備地には出現し、何がどう不良なのかは素人には理解しがたい。建設会社は信念と早期被災地の復興のために、当たり前の仕事に従事してほしい。
中央区の端からから向かいの盛り土工事を見る。土曜日なのに工事は多忙を極めている動きが伺える。しかし、震災時よりもトラックの数が減ったと周囲の人は言う。

シャンソンの歌詞は「反戦歌」が多い、小松先生の人生がここにはある。ケニア支援の「響け愛の歌」を、旧小牛田の「美里文化ホール」で2回目にシャンソンコンサートから、先生との接近があり、そのお友達とも、今別な被災地再建事業で交流を続けている。
シャンソン仲間3人と素晴らしい歌声がホールにしっとりと響く。先生がこれまで関わった人たちが、福島・秋田から宮城県内は元より、最後の有終の美に130人前後の友人・知人が集まった。志津川中時代の同僚や生まれた遠田郡の先生方も多くおられた。
先生の挨拶で「震災後は、老いを自覚し、死に備えて、一日いちにちの始末をつけて、すっきり生きたい思いが膨らみ、ボランティア活動、趣味をセーブしながら生きてまいりました。……愛と癒しの魔法と言われるchansonを、心逝くまま歌い、大きなケジメをつけたいと思います」と話す。優して強い人間ながら「生」への限界を悟った人生のコンサートを、皆さんと共に堪能した。
「バラ色の人生」から始まり、「聞かせて愛の歌を」があり、2部では定番の「愛の賛歌」「枯葉」、3部では「人生は美しい」「北の故郷」、4部で「愛ゆえに死ぬるものは幸せ」「鐘も鳴れ」と続き、最後に「カン(その時)」があり、その歌の想い入れを話す。シャンソン歌手の初めての歌に感動し、歌わせてもらう為に2年を費やし、3年前に作詞家の方が亡くなり2年前に歌手の方が亡くなられた。自分の死期が近い事と、この現実が重なり自分でフランス語に歌詞を付けて歌った。会場では目頭をぬぐわせる方も多くあり、先生との結びつきの深さを感じた。
その最後のメッセージのような歌詞には、「友の声、帰ってきたい懐かしいみんなの元へ、人はそれぞれ旅を行く、懐かしいみんなの元へ!」とあった。これまで続けて来たシャンソンコンサートの「カレテットを解散する。」と最後を締めた。歌は全14曲、小松曜子の最終コンサートに同席できた事に感謝です。
私の周りにはこんな素晴らしい方々が多い、その思いを自分なりの活動で、被災地の復興に努力していきたい。
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それにしても仙台のひとときと、6年目を向かえている復旧復興の、この現実のギャップに、二つの写真を見て愕然とした。
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