2016
06/27

だいぶ進んでいる志津川中央区


日曜は天候に恵まれ、志津川地区を散策するには最高の日和となり、志津川の3地区の高台の整備・住宅再建の進捗を見に行く。中央区は上部の方がまだながら、低地部は土地が引き渡されると同時に、ハウスメーカーが直ぐに工事を始めていた。
西地区西工区はしばらくぶりで行った。昨日は日が良いのか地鎮祭の風景もみられた。震災直後は土地の整備中に硬い岩が見つかり、整備に時間がかかるとの事が発生した場所ながら、以外と早く問題の無いように進んでいた。旭が丘団地の奥ながら、3~4割が住宅再建へ始まりの姿があった。
西工区の手前の「アルファーダイヤモンド」の会社が懐かしい。以前は日産の部品工場ながら、震災前に自動車部品の製造が海外に流れた為に、工場の閉鎖で問題が発生した事を思い出す。震災時には工場の駐車場にあった水道が、被災でも使えたので多くの地区民や町民が、飲料水の確保で集まった光景を思い起こす。
何処の現場も全てが終わった訳でなく、半分が未だに工事中で造成工事を何で市街地よりも早く終わらせないのか不思議だ。
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住民の生活場所の確保が先で、土地整備の計画に時間を掛け過ぎた事で、多くの町民が町での再建を諦め、町外での住宅再建を決断した。私の多くの仲間も震災時の住宅再建希望の土地を、変更した事が現在、生活再建を終え新しい生活を始められている。限られた人生を町の計画が、住民生活を変えていまい家族の幸せを奪った。
大震災のせいとしているが、半分以上は防災体制の軽備と、早期住宅再建の整備を怠った「人災」と、町の疲弊の責任を最大の当事者に取ってもらいたい。復興で他に無い新しい町を造る事より、町と住民生活を守れなかった事が、被災地の二番目の悲劇である。「悲劇の町」から「消滅する町」にならなけれは良いが、その責任は誰が取るのか。町のこれまでの「まつりごと」を考えた時、また厚く語ってしまった。これが私の「怒りのエネルギー」となり、町で生活を続けられている。

鳩山邦夫が67歳で十二指腸潰瘍で亡くなり、炭水化物ダイエットをしていたと言うが、病気との因果関係はないのか。私の生活は「一日3食」を守る事で、今の病気と体調を守っている。60歳になると老化による体の異常を日々感じる。私の知人に腹空鏡手術で胃がんを三分の二を切除し、2週間で退院したと言う。医療の技術の問題は結果次第だろう。

今日は歯医者で治療がある。今の町の姿を見たことで安心している。自分の町の変化を知らない事が、大きな不安になる事が時々ある。まだまだ皆さんが知らない事を、来月の「マイタウン情報」で写真で伝えたい。来月には会社ホームページで、1月~6月の町の出来事を公開する。
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