2016
06/17

私の町への訪問者


梅雨に入り今日も雨日和だ。昨日は友達の父の焼香に同級生と二人で行く。震災の中で事業再建や私の支援に協力してくれ、何時も気にかけてくれた友人だ。母の入院でも偶然に同部屋となり、2週間前に病状が急変し特室に移った。母の様子を見に行くと入室者が変わっていた。受け付けて入院者の事を聞くと、「教えられません」と言われた。個人情報なのは判るが、町の事情を判る方が居たら、事情により町民には「何日亡くなりました・転院しました」は、聞きに来た方には本人確認をし、知らせても良いと思うがどうだろう。結局、葬儀も家族葬で済ませたと本人から聞いた。人知れず亡くなる事は、被災地で起こっている現実で、当人をしる方には知られる事無く、天国に旅立つ。本当に悲しさが増す。だから、私は事情もあるだろうが、「大変だったね」「御苦労様」と声を掛ける。行って良かった、来てくれてありがとう。が町で今後も暮らす町民の「絆」になる事を願っている。

突然の「名刺頼みたい人がいます。」と電話がきた。知っている方で、「英語が話せなく困っています」との事だった。学生さんで入谷から自転車で農協の下まで来ていた。片言の日本語と英語で、何とか願いが解った。中国人の方でイギリスに留学し、被災地の南三陸町に「日本語を学ぶ」「被災地支援・交流」が目的だと言う。ホームステイできる所を探していた。宿泊費が長く町に留まりたいという事に、大きな障害となっているようだ。私の家は父親と二人で無理で、いざ、ホームステイできる所は思い当たらない。バイトしながら宿泊できる場所をと、ある社長を紹介した。地元民の小中高との交流も制限があるし、多くの理解者の元でないと厳しい。何かあったら支援したいと連絡場所を知らせた。
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昨夜は19日の日曜の剣道大会に向け、最後の練習に団員と1時間50分、しっかりと総仕上げをした。先月の中に竹刀を初めて握った5年男子と6年女子は、試合でも戦えるように厳しく、私の声もかすれるまでに指導をした。少しの小学生には体罰に見えるかも知れないが、これまでの指導した子供達と同じで、厳しい指導で道を外れた団員はいない。厳しさと褒める事と、良く出来たら褒め涙する指導で、そんな少年剣士を造るが私の団員への思いだ。

仙台の知人が電話をくれた。中学時代の恩師「小松先生」が、アフリカ難民支援など、世界の子供たちの支援の募金活動にシャンソンを歌っている。震災前に美里町の公民館でのコンサートが、大震災の2年前ごろに開催され、応援に行った。今度は最終コンサートで仙台で開催し、私にも是非来てもらいたいと友だちにチケットを贈ってくれた。7月に先生に会いたく、先生のパワーと優しさを貰いたい。

写真は志津川地区の本浜町の旧魚市場から我が家の方向を望んだ。何も無い新しい防潮堤の壁と、その上には盛り土10mがそびえるだけだ。チリ地震での津波防災の象徴の防潮堤も、過去の歴史が全て土に下と、新しい商店街と観光地の下敷となり、南三陸町志津川地区が消えようとしている。55年間も志津川町民の安心安全の環境を維持してきた姿は、何も残されずに歴史の藻屑となり消え去るだけで、自分の生きて来た町を平気で造り変えるその考えは、この地に住まなかった人間の成せる技と私は思う。広島・長崎の原爆の姿を伝える、この市民の県民の取り組みに学ぶ事をしない、町づくりは失敗の部分が多数にあると私は思う。
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