2016
06/11

人生は自分の想うようには進まないのが世の常


昨日は突然の友の死に、多くの仲間が悲しみに包まれた一日となった。仙台へは一時間半で行けるが、行き来している訳でもなく、いつでも何かあれば会える気持ちが強かった。還暦では都合で会えなかったが、電話でも何度も話し、震災後も何度も会社に来てくれ、会社の再建に支援してくれた。実家の事も墓の掃除を仲介したりした。在る時「自分の墓の掃除ぐらい自分でやったら!」と意見した。今思えばその時の体調の事があったのだろうと振り返る。

夕方、防災庁舎の瓦礫の前を通った、何と寂しそうで悲しい光景がそこにはあった。河川堤防の建設が進み、土地造成の残土が高く積まれ、その姿はじょじょに人目から消えようとしていた。県の管理課となる遺構としての防災庁舎の保存に、県議議会での予算が「8400万円?」となった報が、一昨日あたりに発表された。町の財産ながら他人任せの政治が今後も続くだろう。

焼き鳥「なっちゃん」の帰り、中央区に初めて入った。既に2軒の建設と、土地の区画も決まり擁壁が目立ち、基礎工事や地鎮祭の後も伺われ、「土地さえあれば!」が被災者の、これまでの住宅建設の在り方からも判る。多くの将来への希望は、家の大きさ形から判る。高齢者や子供のいない家庭は「平屋建て」で、2世帯住宅や3世代が共に暮らす家はやっぱり大きい。志津川の各高台の団地は6割が二階建てで、4割が高齢となる事を想定し生活しやすい平屋で、バリヤフリー化の環境を整備していた。

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災害公営住宅には高齢者が多く住み、平均年齢は70歳を遥かに超え、高齢者対応の建物かは、これから検証していきたい。狭くても小さくても「住めば都」ながら、身体の老いはそれでも多くの生活しにくい環境となる。エレベーターの4階建ての災害公営住宅は必須で、20年後となると入所者の2割3割の減少が予想され、新たな入居はいないだろう。
人は今を明日を考えで生きるが、行政は将来像の想定しながら「町づくり」を行っていると言う。国からの消滅都市への支援や、故郷創生の予算もいつまでもある訳ではない。これまでの全国の過疎化・高齢化の波をしっかり確認し、震災後にその適切な対策をとらない、政策のツケが今後に現れてくる気がする。誰もその責任を取らないままで、我が町はこれからも生き続ける。
若者は目先の華やかさを認め絶賛する。高齢者は将来への自分の事と、税金の拡大増額に生活不安を抱きながら、静かな安心できる環境を求める。私も後者である。
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