2016
05/23

みなさんは先祖に恥じない生活をしていますか


ひさびさの何も無い一日、先祖に現在まで暮らしと、我が家の現況を報告をしてきた。
同級生の慰霊の塔婆から、南三陸町志津川市街地の半分を望む。ここからは震災後の変化は盛り土が被災地に盛られているだけだ。ここには多くの建設企業がひしめき、ここに不正や利権の渦があると、政治通の人たちは話す。私には計り知れない事です。
母の体調が「母の日」の以降にすぐれなく、昨日は母の誕生日だった。決めていた昨日の行動ながら、我が家の墓所は土葬の時から母とお盆の墓参りを続け、かれこれ50年は続けている。私の半世紀の墓参りの半分を共に、先祖への感謝と畏敬の念を私と母は、決して忘れないで生きてきた。
菩提寺の墓地にも整理された墓地が見られ、津波など震災後の新たな暮らしで町を離れ去る事を余儀なくされた結果だろう。だが、私が合掌を来るたびに行う所は、今もしっかり家族が来ているようだ。法名碑には先人たちの歩みが刻まれ、誰もいない墓地なので、じっくりと逝去された日と名前と年齢に、遠い日の在りし姿の思い出に浸った。私は良い時代を生きて来た事を再確認した。
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何も知らないまま、両親の後を追い生きて来た事で、人間の裏側を知らない事が幸せだった気がする。年を取り世の中を知れば知るほど、生きる事に空しさを感じる。
高校下のクランドゴルフ場は、土地の圃場工事の会社の計らいで、一時期、高齢者の為に練習場として、交流や健康の為に解放していたが、2年目を迎え、復旧工事の遅れが町づくりの支障とならないように、工事が始まっていた。中瀬町地区の家々が立ち並んでいた場所も、農地としての土地の整備が広大に進み、生まれ変わっていた。気仙沼線の内陸側は、総てが被災地で人が住む事ができず、農地として生まれ変わる。大型農業が実施されるのだろうが、いったい誰がするのだろうか。ここにも将来への計画への「机上の計算」があるのではないかと思う。
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震災後の5年は何をしたのだろうか。土地の嵩上げと高台の住宅地整備なのだろうが、町民は本当にこれでイイと思っているのだろうか。歌津地区は5.5mの嵩上げで、志津川地区は10mの嵩上げなのだが、日本列島の地核異変は世紀末の様相を見せている。過去にない大規模な復旧工事は必要なのか。必ず再度津波は来る。
近年の町を襲った津波は昭和35年5月24日の、5.4mのチリ地震津波で、58年ぐらいが経つ。南米チリの地震からの津波で、23.3.11の今回の津波は海溝地震で、そう遠くない時期に再度また発生すると私は予想する。町の海岸線の8.7mの防潮堤は力を発揮するだろうが、多くの物は再度被害が発生するだろう。今回の津波から何を得たかは、自然の力の想定出来ない現実だったのに、ハードで自然とぶつかる事の人間の無力さの中で、再生できる力こそ人類の真の力だと私は思う。早期の震災復興計画で、町民の生活再建で新しい生活環境を整備する事を描かなかった。大震災の再建の在り方を、これまでの先人達の再建方法に習えば、再度の残った町民たちで図れば、町の繁栄に再び繋がった。そんな事を考えた一日だった。
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