2016
05/20

雑草のように強く輝きたい


向かいのコンビニに野菜袋と納豆を買いに行く。10時半ごろには工事現場の方の人並も減少し、店を歩くにもレジの行列も無く、私の体調には買い物がし易い。買い物帰りに擁壁のコンクリートの間から草が、精一杯の力で生きようとしていた。厳しい環境でも自然の力が発揮されている。しかし、5年も避難所と仮設生活、終の棲家までの苦悩は、余りにも長いだろう。雑草の命は一年で、人は良い環境の中で平均寿命も世界一となるものの、狭い過酷な環境の中での長い生活は、寿命をちじめているのは間違いがないだろう。
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昨日は初めて移動となった「防災庁舎献花台」に行った。ここには震災後の町の姿を全て見る事が、この写真から伺える。
震災の津波により防災庁舎で職員・町民が亡くなった。東京レスキューOBの方々が絡まった瓦礫を取り除き、今の姿となった。
気仙沼線を諦め、「BRT(高速バス輸送システム)」が町中を走る。
防災庁舎の後ろの山は、土地造成や国道整備・三陸道などの残土が高く積まれている。しかし、ここには「復興祈念公園」となり、この山の土は全て撤去され、祈りの場が整備される。だが、未だに亡くなられた町民の「慰霊の碑」は、まだまだ先のようだ。これで良いのだろうか? 
亡くなられた名前は、歌津地区の「追悼の丘」と「津龍院」の石碑に、地区の震災死の名前が残されているだけだ。
女性参画を推進する「ジョネット」のトレーラーハウスが見える。被災地の女性の経営者としての技能を習得し、女性の活躍で町の復興の支援ができるように、ここを拠点として活動を続ける。
このトレーラーハウスは、町長が支援物資だった物を、個人的に自宅の家に置いて、メディア対応していたと言われている。こんな事もあったが、皆さんは忘れているだろうが、私はこの身勝手な震災後の行動を記憶に留めている。被災者が苦しみの中での行動だからだ。

枡添さんの「セコサ」だけが、メディアで毎日のように暴露されている。二度の離婚と三度目の結婚で、子どもさんも二人いて生活費が掛かのだろうと、元都知事の石原さんが言っていた。お金への執着の姿に都民はがっかりだろう。言う事とする事の大きなギャプを感じ、平気で正当性を話す姿に惨めささえ感じてくる。
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