2016
04/29

高齢者のみなさん南三陸の来町は運転注意


昨日のお寺は雨の葬儀となった。一人で母の面倒を被災後に仮設で暮らし最後を看取ったのだろう。私の隣りの仮設で、マイタウンの新聞配達を手伝ってもらったり、会社のアルバイトもしてくれた。早く亡くなられたお父さんは今も覚えている。仮設隣とあり時々貰い物などお裾分けし、相談にも乗っていたのに、「ご苦労さん」としか言えない。お寺で献花を頂きリビングに花の輪がまた広がった。以前の区長には「たまに仮設に来ないと」と言われたが、町の為に私は他人より活動していると思っている。88歳の死は被災して新しい住居に入れることを楽しみにしていたのに、町の復興の遅さに高齢者の更なる不幸を感ぜずにはいられない。

昨夜は志津川剣道スポ少の小学生の指導で武道館に出掛けた。中体連が5月末とあり生徒の熱気が伝わってくる。今年は新団員が2人もいる。剣道から離れようとしているのに、子どもの笑顔に「継続」と言う言葉が、ムクムクと胸に湧く。5年男子と6年女子の入団となれば、子ども達にやる気が起こってくる。良い形ながら指導者の不足を嘆く。20代30代の剣道の教え子が町に帰っているのに、「誰かを助ける」との気持ちが無い事を残念に思う。多忙な生活の中で地域の人との交流がどれほど大切かを解らない。家庭と会社だけの生活は、自分を磨く事が無く将来にそのツケが必ず来る。後悔しない人生は、色んな事に挑戦し何時までも勉強だと思う。まあイイ!
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水尻橋がまた新しく架け替えられ、道路が急に変わっていた。一週間前までは何も変化なかったのに、前後の道路の風景も違う事に驚いた。以前のスタンドもまだ形は残っているが、国道45号の新設がその上にできる。4人の従業員さんは何処に行くのか心配だった。
町再建の残土が盛り土となり町中に山積みにされ、また崩されその繰り返しが何度も起こっている。不思議な被災地の光景が日々変わっている。写真は中学校下の河川堤防の基礎工事で、松原グランドの災害復旧は、あと3年掛かると言う。八幡川の橋脚が1本また一本と完成しているが、橋が架かるまではあと3年掛かると言う。基礎再建に8年間かかり、今後の残り5年を創生期間と言うが、何が創生かか判らなく、私も65歳となり高齢者の仲間入りだ。
志津川地区には3つの川があり、10mかさ上げしての橋の建設の大変さを解るが、その多くの時間の必要性は回避する工法で再建できないのか。早期生活確保の為に重点的な住居再建と、国道の主要道路の早期整備と、生活環境確保の商店街とスーパー配置を先行で進められると思う。多くの建設計画は国の計画に習って進んでいる。一町民が騒いでも計画が変わる訳でもない。「選挙で中央政権から変えよう」と、言っても国民は自分の事を守る事でいっぱいだ。そこにも「しがらみ」がある。

静かに町の国の町づくりを見つめて行きたいが…。今日は女川町の商店街を見に行きたい。大阪の「京たけのこ」のお返しに、「高正の蒲鉾」を贈る事と、スペインタイルの店に寄って、「ゆぽぽ」と日の出の見える新店舗の中央から、海に向かって写真を撮りたい。
我が町のやっている復興の経過に乗れない、みんなで一緒は何処にあるのか、以前の商店の増加など何処にも生まれようがない。


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