2016
04/22

がんばろう(助け合い)熊本


昨日は朝7時前に家を出て気仙沼に行く。国道は大谷地区から渋滞し、1時間を越えようとしていたので、最知のパチンコ店から農道に回り、予定の一時間掛からず目的地に到着した。大谷地区では中学生が歩道を滑走する。国道の大型トラックの脇を少し大きめの自転車を、新中学生が対向の自転車に自転車を止め土手に落ちそうになりながら、やり過ごしていた。現在、5年が経過するのに志津川地区の学校は、通学バスでの日々が続き、体力の低下を心配する。一日も早く普通の登校となる事を願いたいが、志津川地区の学校を結ぶ「高台横断道路」はあと5年は掛かると言われている。子どもや高齢者の10年は大切ながら、津波被害の町の再建は、そんなに時間を掛けての大改造は必要かと今も私は思う。
熊本県の避難場所の1か月で3回の変更は、県民の苦悩・苦痛は「もういい!」との言葉となっていた。過去に例がないと気象庁では話し、国の対策に苦慮している話は、被災地の国民への不安となり伝わる。「いっしょに頑張りましょう」と全国からの励ましの言葉・支援の輪が、今、熊本に向かっている。私の知人のフェイスブックでは、東日本で支援に来た方々への「支援の輪」を求めていた。赤ちゃん・子ども達の生活物資の不足を伝えていた。まだまだ地震の終わりが見えない不安は私には図り知れない。
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気仙沼への途中に変化を見る。枡沢住宅の下に「仙台銀行」が完成し18日にオープンした。歌津農協に志中時代の剣道の教え子が転勤となった。地域の皆さんには厳しく育てて頂ききたい。その向かいの空き地に大阪の「串カツ」の店を発見した。歌津の新しい「美味しい店」が出来たと、歌津の若者が紹介していた。伊里前市街地にある「三嶋神社」のお祭りの「のぼり」も建っていた。伊里前川の被災した水門が撤去され、しろうお獲りの「ザワ」が今年も出き、昨日の魚屋さんの店頭には「1パック500円」と、初物の値はまだ高かった。
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一昨日は沼田地区の会議があり、地域の活発な生活環境への問い合わせがあった。街路灯の会議で地区内を明るくし、生活しやすい整備を話しあった。少しずつ地域に解け合って行きたいと思う。昨夜は志津川剣道スポ少の練習に6か月ぶりに行った。スポ少の運営を若い世代に移したものの、練習の環境は指導後継者の不足がある。2人のこれまでの団員に2人位の増加と言うが、子ども達の動向は不明だ。軽くの指導はついつい力が入ってしまう。帰って8時半の晩御飯となり、朝も早かったせいで食べてすぐに爆睡だった。
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昨日はテレビのニュースを見れなかった。アメリカの歌手「プリンス」が57歳で自宅で亡くなったと、朝のラジオで伝えていた。若い時代に洋楽にはまり、仕事と音楽の暮らしがそこにあった。10年ぐらいは同じ生活の繰り返しで、デビットボーイや当時の人間か、同世代で亡くなった。

熊本へは早急の義援金を県印刷組合を通し送った。会社でも現金封筒でも昨日応援金を贈った。遠く宮城の地から心ばかりの気持ちの恩返しだ。今後も義援金を続けたいと思っている。東日本での震災後も全国からのこんな多くの義援金が被災地に届いていたのだろう。何も知らず精一杯生きていたので、「何かしないと!」と日々活動していた。多くの支援は1か月を過ぎた頃から、被災地に多くが入ってきた。パソコンの流出があり、メールがたくさんあり「何か支援する事はないですか?」の問い合わせだった。私のすべき事はここにあった、今は当時の「発信」の力の大きさに驚いている。

今日は情報収集と発信の日としよう。
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