2016
04/17

私たちと同じ光景が広がる


熊本地震の被災地の様子に、我が町の震災後の姿を思いかえす。炊き出しに被災住民が集まった事は記憶に残るが、断水でも水を貰いに給水車に行った事は無かった。自衛隊の造ったお風呂は総合体育館の裏に整備され、隣の地区の保育所の避難所に幼児の入浴希望を募り、送迎をして喜ばれた事を思い出す。耐える事には昔から慣れていた事で、震災の窮地を生き抜く術を小さい時ら備えていた。子ども達とその若者世代の生活を守れたかつた事が、将来の町の疲弊へと繋がっている。160416_195038.jpg
今回の震災の避難住民の高齢者の悲壮感が肌で感じ取れ、子ども達の性格による沈んだり、愉快になったりする様子を心配する。子どもの生活環境を早く落ち着かせる事が大切だと思う。東日本大震災を国は経験しながら、被災地の救済を人命の確認と救出の為の、一次の救済活動で自衛隊・警察・消防隊員などを派遣し、現状確認をしている。この辺は津波による大災害と、今回の現状は大きく違っている。
おにぎり一つ・水コップ一杯が、道路の分断により細部まで行き届くまでには、1~2日掛かり避難所での安定生活までは1か月も要した。しかし、熊本の震災は今も余震が続き、今後も震度6弱の発生予測があり、壊れた家の維持や今後も先が見えない中で、心の安定は将来への政府の復興計画にある。手厚い義援金ではなく、大きな支援金を配る事と、安全な場所への土地の確保を上げたい。活断層の驚異は日本国民に大きな衝撃を与え、終の棲家の確保は場所の選定に大きな比重を置く事となるだろう。
160417_064416.jpg
日曜討論では「人口減少」「地方創生」を議題にしていた。被災地の町づくりの在り方に疑問を呈していた。原形復旧が被災地の事業所にあるが、原形以上の再建が見られる。今後の町の姿を考え、労働力と事業発展と需要想定を見極めた、町への国からの支援補助があるべきながら、地元の自治体任せの推薦・公募の形があり、国の将来を考えれば、震災復興と言う事だけで、国の将来設計に添った国費の使い方を精査し厳しくすべきと思う。補助の成果が見られない時には、ある程度の自治体へのペナルティーの必要性を感じる。
地方創生は「文化庁」の中央分権が数年後に京都へ移す事となった。その他にも「消費者庁」なども四国への、仮設置の調査をすると言う。人工減少の歯止めは「魅力ある町創生」が基本とある専門家が言い、行政と町民が本気で話し合う事が大切と語る。
今日の朝に「サンドイッチマン」が歌津を紹介していた。漁民の「手ぶらで釣り」や、羊の飼育で子供たちの触れ合いの場を作り、大坂のボランティアは被災地の夜に明かりをと、串カツの店を出店し、皆が集まれる場所を提供していた。しかし、地元の若者は町外に仕事の場を求めている。「自分たちの町は自分たちで!」と言う気持ちが薄い。行政の描く町は観光客の交流人口の拡大や、ボランティアの流入拡大・定住を模索している。地元の若者たちの定住は魅力ある仕事場の誘致と、自分の将来設計を描ける環境造りが、異性との交流ひとつを考えても、若者たちが居ない「逆三角形」の人口形態がある。
大震災を受けた自治体は、行政と事業所再建に最大の政策に置き、さも、それで町民の生活環境を維持できると思っている。住民の定住に手厚い対策を取らない事で、子ども達が若者世帯と共に町外へ流出した。震災5年後に13500人を堅持し、その後の人口の上昇をと考えた。復興計画の甘さは、町の権力者と、専門家の「町民会議」からの提案で、一般の生活者の意見を取り入れない、造られた復興案に添う計画が、そもそもの失敗だった。

同じような失敗が町村合併時の、二つの議会で決定した事を守れなかった事で、多くの町民を失う事の要因ともなった。なぜ決定した「役場庁舎を二つの町の真ん中に建設する」を履行しなかったのか、それは責任者に建設する手腕の欠如と、建設審議にあたった仲間の委員に、権力の力が働いたと私は思っている。町民の多くの死者を出した事と、人口減少とは深い結びつきがある。
これからも自分なりに町の震災後の復興に、何が問題だったかを各分野の専門家から話を聞き、町民に訴えて行きたい。
スポンサーサイト

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 11:21 】

COMMENT
POST A COMMENT


















 TOP