2016
04/10

自分たちの町は行政・議会の決定でなく自分達で造ろう

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震災後に南三陸町を離れ、多くの町民が移転した地区が「登米市加賀野地区」であり、昨日に地域の公園を見て来た。竣工記念碑が「加賀野土地区画整備組合」により建てられ、学校が公園の脇にあり、住宅街が二重三重に取り巻き、登米市の街の住宅街を形成していた。整備組合で地域の在り方を考え、住民と子ども達が安全に安心に暮らせる地区を創り上げていた。清らかな水か大きな石を浮かせ維持する、写真中央の「モニュメント」があり、物理学の不思議を子供たちの学校に隣に隣接整備していた。
我が町の街づくりとは大分違う。専門家まかせの政治主導の町の再建が進んでいる。多くの協機会は会議はいくら考えても形ばかりのもので、何が新しい町づくりに組み込まれたかは判らない。6割が被災し仮設での住民生活で、町民の意見を町づくりには、意識とは環境的には無理だろう。
他の地区から学ぶ事が隣の市にある。隈研吾氏への町復興の期待があり、アミタのバイオマス事業への町の支援は、三陸材とカキ養殖の「国際認証取得」の資格を得た。こうした活動の町の活性化は労働者の確保へ繋がるかと言うと、多くの雇用を生む事は難しい。五輪が2020年にあり、隈氏は競技場の玄関部に「南三陸産材」活用したいと、先週の来町で町長と町の関連事業主との懇談が持たれ語ったと言う。
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高校の入学時で「皆さんへの期待は大きい」と、来賓者が祝辞で話した。校長は3つの「お願い」として、1.伝統を更に発展させて欲しい。2.日々精進しい欲しい。3.一致協力し地域に根差した活動を。と入学生に話した。これは新しい町づくりに皆さんの力が必要と言っているようだった。
登校坂の桜のアーチもまだ4分咲きながら、入学生への町民の期待は大きい。今日は高校の登校坂の命名の記念碑を撮影に行く。

昨日は建設25年にもなる倉庫の屋根が、劣化し錆が進んでいた事で、町の志津川塗装店への依頼をし、25年間の屋根のアカを清掃した。先代の社長は古くから我が社との繋がりがあり、2代目の息子さんに今回の工事をお願いした。こうした昔からの人との繋がりの仕事先が、震災で被災し廃業した方々が、我が社の昔ながらの人たちに多い。関係する工事や仕事を互いに助けある、町で生きぬいて来た人以外には依頼したくない。だから近隣にという購買意識が働く。「互いに助け合う」「強い正義感で生きる」など、こんな人間が町にはいなくなった。強い物が独裁的な政治は、国を低下させ破たんの道を歩む。町の各分野で長をする人材が無く、同じ人間が兼務する体制が我が町を劣化させている。
新しい人材育成への願いが町民にある事を、町づくりの先頭を歩く人間達は解っていない気がする。
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