2016
04/01

歌津田の浦地区


世界的な建築家「ザハ・ハリド」が心筋梗塞で亡くなった。65歳のまだ若い英知な頭脳をもった人間がこの世を去った。東京五輪の最初の設計をし、日本の招致委員会の混乱に巻き込まれ、多くの苦悩を抱えていた死かも知れない。
江戸や子猫さんが進行性の胃がんで急逝した。少し痩せてきが特別な痛みはなく多忙の中で生活していた。診察で判ったのが「レベル4」の胃ガンだった。発見後1か月余りで、彼も又66歳の若い死だった。
私は現在少し太り気味ながら、5月24日の60歳の節目の年の前にあり、時々、身体の変調を感じている。糖尿病からの事もあるが、年齢によるこれまでの体への負担が所々異変を起こしている。これを私は「天命」と呼び、それに今後はならう事とした。

町の総合計画が政府の査定で不採用となっていた。全国からの地方創生の交付金を求め、2744事業が提出され、1926事業の906億円が交付決定となっていた中での事だった。
また、町の人口が昨年10月の国勢調査では、1万2375人となり、22年ごろから5年で5054人(29%)が減少した。町では現在の人口を13700人と言うが、本当の数字をここで初めて知った。この現状の打開に死にもの狂いで行政と町民が当たらないといけない。その対策に交流人口拡大を国も自治体も声を高くして語る。
これまで志津川には多くの人達が住んでいたが、私のしる知人の多くは子供達に囲まれ、町に三世代が暮らし、「孫振る舞い」「入学」などの行事を家族・親戚と近隣の住民で祝っていたが、今は、子ども達は生活できる近隣市に移り、孫は時々故郷を訪れるだけとなった。祖父母は静に志津川で暮らし亡くなって行く。こんな生活の繰り替えされる、寂しい町になっている。
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今日の写真は歌津地区の「田の浦団地」です。海岸線の地域は全てが流失し、「いろは坂」のように急な坂を上った所に高台造成された。40軒前後の移転の7割が、引き渡しから1年足らずで住宅再建が終わっていた。この場所は住んでいた所は変わらず、今後も農地の圃場整備で残る。住んでいた記憶はその場所に立つと蘇ってくるだろう。志津川の市街地はどうだろう。10mの土の下になり、その生活の跡を感じる事はできなくなった。市街地の何処に「あの静かな漁村の風景」を思い起こさせる場所があるだろうか。是非、そんな事を考慮に入れ町の再建をして欲しかった。子ども達にここで貴方達が住んでいて、「こんな事があったんだよ」と親が語り継ぐ事も無くなった。だから、簡単に町を去る事ができた。
今日は気仙沼の県事務所に書類を出しに行く。これまでは仙台の県の委託会社に簡易郵送だったが、被災地の再建支援の為に、早期の事務処理と、その膨大に申請書の受付に、気仙沼に移動受付事務所を今日から設置する。8日までなから提出で安心したい。この資金はこれまでに自己資金から会社に出したもの、また「右から左」へと運営資金に流れる。

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