2016
03/30

私の60歳と震災5年目の節目の時に


昨日は登米市の看板店の「アサヒ広芸」の職人3人で、我が社の看板を設置した。商工団地の会社前の通りには街路灯が無く、冬は夕方4時過ぎには暗くなり、水産加工場へ向かう中国からの労働者は5時には出社する時、真っ暗の中を人と車が通行する。少しは歩く人の助けになる。人や物への反応防犯灯もあるが、これからは夕方6時から朝6時まで、看板の明かりが道路を照らす。我が社の「がんばろう〔絆〕南三陸町」の、絆・ハートのピンクが目立つ。気にいっているロゴマークです。戸倉の仮工場の営業から名刺にも印刷し、被災地「南三陸町の再建を皆で頑張ろう」との気持ちを込め制作した。震災5年目の月に間に合い設置ができた。
60歳節目の年の身辺整理に、35年前に亡くなったみつゑばあちゃんと、10年前に亡くなったいそ子おばの、法名碑の刻みの段取りを菩提寺「大雄寺」さんにお願いし、近々に完成する。父は仕事に追われ、できなかったと言う。私は3代目で先代のやり残しを片付けるのは当然ながら、震災後のギリギリの生活では大変を理解して欲しい。
昨日は仙台の会議で三陸道を往復した。途中のインターの「春日」で電話の対応をし、まっすぐに津山インターで下り、南三陸商工団地まで「1時間」は、三陸道の二車線化の賜物だろう。会社にはまだ看板設置がされていなかった。仙台へ10時に出て1時間の会議ながら、午後2時半には帰って来た。高速の力は活動の拡大へと繋がって行く。
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「南三陸ワカメ」の生産が追い込みを迎えている。ボランティア不足ながら、各々の生産者が大震災で有名になった「南三陸ワカメ」の加工に大わらわだ。全国からの注文があり、新鮮で柔らかなワカメを食卓に届けようと、生産者が頑張っている。私も大阪に200個、長野へ100個と少ないが、何県かの要望に応え発送し、知人の水産会社へ依頼し発信している。
私も今年はワカメを何人かにいただき、収穫前の低気圧被害で4割が減少した中での事だ。「味噌汁」「和え物」「メカブ」「煮物」など、食べる機会が多くなったが、料理を学習し食べている。もっと地元の人も食べて、南三陸産ワカメを発信して欲しい。岩手の佐々木さんのフェイスブックでのワカメ生産者のグループがあり、私も入ってしまった。佐々木さんは「北三陸産」のワカメ・コンブを発信している。その生産者と消費者との繋がりを密にし、生産と購買の繋がりの大切さが、「太い絆」となり将来への希望を生んでいた。生産者も品質にこだわり、消費者も末永く周囲の人たちにその良さを伝える。こんな循環で水産業の発展にもなる気がする。「食べられる事への感謝と、食べてもらえる事への感謝!」で、共に生活が成り立って行く。人と人とが結び合い、笑顔溢れる日本でいて欲しい。

気仙沼市の三陸新報社の制作した「見聞思考」を昨日貰った。気仙沼市と南三陸町の震災時と現在の復興の姿を写真で綴り、その説明も書かれてある。「語り部のガイドブックでもある」と言う。見やすいコンパクトな冊子で紹介している。定価300円ながら一目で南三陸の被災時と現在が解る。

今日は「南三陸マイタウン情報」を仕上げたい。井上わこさんの「盲導犬活動」と、「愛の福袋」の被災地での交流と、音楽の夕べがあり、蒲鉾本舗高政の高橋さんの「女川町再建活動報告」を掲載した。南三陸町の変化も気仙沼市の復興現状と見比べ知って頂きたい。新聞折り込みは第二日曜の「10日」を予定している。
諸々な活動が私の生きる力となっている。
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