2016
03/21

飯島町マジッククラブと私達との震災を通しての交流


南三陸町へのマジックによる「笑顔の支援交流」が、伝統の歴史の「御柱祭」と、素晴らしい大祭に出逢える事となった。また、飯島町マジック倶楽部会長の宮澤会長と会員の皆さんの、心温まる「おもてなしの心」に更なる感謝を申し上げたい。

19日の朝6時に南三陸町を出発し、南方仮設に入居の先輩の3人で宮城を離れ、一路、長野県飯島町に向かった。経路は長野県駒ケ根市の隣り町に位置する飯島町、駒ケ根ICまで8時間と言う今回までの飯島の皆さんの時間帯を想定し向かう。南方仮設を7時に出発し長者原スマートインターに向かい、モーニングコーヒーで飯島町までの打ち合わせの上で出発した。東北道を通り都内に入らず、関東をぐるりと回る「首都圏中央道路」のジャンクションの久喜を目指す。私の目の不安から後輩に運転を任せ、「安達太良SA」で休憩まで私が運転士し、以後は二人に任せた。圏央道をめざし二人の運転はナビに順じて行くと、埼玉川口の東北道の終点から首都高に入っていた。東京の高速は週末で大渋滞の中に入っていた。
目の前には大都会のビル群が立ち並び、なかなか進まない渋滞で、予定時間を大幅に経過し中央道に入った、勿論、「八王子」まで圏央道を通り中央道の想定外だった。渋滞は東名・中央道と都心から山梨県まで続いていた。「談合坂SA」まで到着午後3時半、福島から10時半出発から5時間の後輩の運転であり、初めての首都高の運転の経験だったと話す。「談合坂」から飯島まで3時間半、南三陸町から休憩時間を除くと約11時間だが、12時間半の片道時間だった。こんな長い距離を3度も長野県飯島町から南三陸町への支援を続けている。ジャガイモ・ネギはクラブの宮澤会長が自分で育て、100Kを8回も送り、またジャガイモを今年贈りますと言う。感謝でしかない。

宿泊は飯島町「本陣」で綺麗な真新しいホテルだった。入浴も無しに会員が女将さんのお店に行く。5名のメンバーが出迎えてくれ、南三陸町の三人と合わせ8名の交流会となった。
長野県飯島町の地元の食材を中心に、南三陸では味わえない料理が目の前に並んだ。信州は馬刺が熊本県と同じく名産で、癖の無い馬刺をいただいた。地元で町起こしの商品として「バロッケ」なる物は美味しく、馬肉入りコロッケは食べやすくヘルシーで牛豚とは違う。その他にも、鮎や山菜の天ぷら・芋の子煮物・蕎麦の実天ぷら・煮物など小鉢が並んだ。蕎麦は今までに食べたことのない歯ごたえで、このような蕎麦は他では出来ないと言う。麺つゆも上品で甘くない仕上げの物だった。宮澤会長の奥さんが「コウタケ」の天ぷらと、自分が育てた野沢菜漬けなど漬物を持ってきてくれた。
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宮澤会長がこれまでの南三陸町への支援の経過と、防災庁舎で最後まで避難を呼びかけた未希さんの事を話し、「未希の家」に宿泊した4番目ですと語る。また、南三陸町の海外勤務の「須藤さん」との交流を説明した。続いて南三陸町のキッカケを作ってくれた、飯島町の町議会の久保島さんが私のブログを知りメールで連絡をくれた。震災直後で行政の受け入れ体制も整わない中で、私への被災調査協力が依頼され、23年夏ごろに総務常任委員会と副議長を含む6人の交流会を、歌津の「泊崎荘」で開催した。また、竹澤議員が歌津出身のお嫁さんだった事も、南三陸町との繋がりの一つと話す。
食事の後はマジックを会長が披露した。一緒に行った兼田先輩も、被災者支援や障害者施設でのマジックを行いたいと、宮澤会長から直々の指導を受けるなど、参加してくれたか仲間との、新たなマジック交流も生まれた。
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9時半に交流も終わり、ホテル本陣の温泉を堪能した。私は直ぐに疲れから長野の地で夢の中へとおちいった。南アルプスを左に見て岡谷から中央道を下り、今度は右に中央アルプスと左にまた、南アルプスの残雪の景色に魅了され、飯島町の内陸の見たことない大地に浸った。
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