2016
03/10

私の大好きな「魚市場」が遠い存在となった


「銀色の鱗がセメンの上で踊っている」。こんな光景が私の幼少時代に旧市場あり、一人で市場に魚を見たり触れたり、釣りに行った思い出を思い出す。今後の南三陸町志津川の市場は、衛生面での対策を施し、市場は見学できる環境を整える。こんな市場復旧の姿を町から報告を受けたが、子どもが一人で市場へ行ったり、志津川湾の魚に触れる事はできなる気がする。子ども達には油断すると危険な「海」「魚」「生き物」を体験して欲しい。
写真は昨日、大森地区の場所を車で通過した時に撮影した。ここには海岸線・市場の復旧工事の関係者や、漁民が買い物や食事のできる店が、今も「プレハブ店舗」で頑張っていた。大森屋さんはタバコや食料品・弁当・雑貨などを扱い、来店者に重宝されている。もう一軒は「焼肉大森」さんで、私より大先輩ながら病気を克服し、被災した南三陸町を訪れる方々を支援し交流を深めている。その発信力は同等の町の人達の域を超えている。日々のツイッターでの周辺や支援者との交流、移り変わる「海」「被災現場」の変化を、克明に全国に発信している。フェースブックでは、その発信に交流者のコメントに日々答えていた。是非訪問して欲しい。「遠藤清吾」さんで検索して友達になって町の現状を知って欲しい。今日も私の「いつ店すいてますか」の問いに、「午後1時過ぎれば大丈夫」と返事が返ってきた。
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今日は音楽大好きの自分には嬉しい報道があった。「ウタダ」「イエモン」の復活だった。30代の頃カラオケで「オートマジック」「ジャム」・・・などを、仲間達に新曲を紹介した。忙しい苦しい仕事の合間の息抜きができた。今はどうだろう、若者たちの交流の場が南三陸町には無く、何処で若者が日々の暮らしのストレスや発散をしているのだろうか。こんな場所も若者達が被災し復興途上の南三陸町には欲しいが、そんな場所を提供する人も場所も無い。高齢者だけの町になる要因をこんな所からも感じる。

昨日はあるデータを見つけた。大震災で多くの町民が亡くなった場所を、「志津川新井田」と「戸倉在郷」があり、震災前と24年の世帯人口のデータを見た。新井田地区は199世帯が150世帯と、546人が367人に減少した。「ここまでは津波は来ないだろう」との住民の予想により、約49世帯179人が減少した。1世帯の家族数を当てはめると「3.6人」が集落から消えた。在郷上地区は15世帯で87人が減少し、「6人」となるが三世代家族が多く、一早く世帯が移転したか、亡くなられた方も多かったと推測する。「まさか! ここまでは?」が、多くの湾の入り江に点在する集落の形があり、この地形も津波の威力が増幅ことに繋がった。

昨夜は「還暦同級会」のDVD写真の試写会をポータルセンターで開催した。その映像にみんなで大笑いの一夜だった。


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