2016
03/09

こんな真実の町の賑わいは何時になるやら

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被災地のある高齢の方が吉永小百合さんに「これからどういう考えで生きていけばいいのですか?」、こんな質問をした。その答えは「今日の日々を精一杯生きればいい!」と、こんな話にこれからどうすればと考えていた自分の心が、一気に癒され楽になりました。借金の事・両親の事・仕事の事・自分の身体の事なと、身の周りの問題に時々悩む事あった。先輩が「一生懸命」との何気ない言葉があり、その意味と繋がっていた。

震災の「3・11」が近づいてくると、被災地で未だに苦しんでいる人たちの事がメディアで報じられる。家族の死から・母の思い出・子供の記憶がフラッシュバックのように、震災の3・11を迎える度に蘇る。母への優しさを思い、何も出来なかった自分に何ができるかと悩み、小高い丘に自宅を建てる事を決意し、母の部屋を仮設から新しい自宅への建設を決意した。700万の土地代と言うが、再建の経費は誰もが出せる価格では無かった。新築は平屋の構想ながら1500万円は掛かるだろう。40代となり一人の生活だった。
福島の自殺が他の被災地より群を抜き多いと言う。住む土地をなくし、家族がバラバラとなり、多くのストレスや不安から家族の絆が薄れていた。こんな理由も自殺の一つに上げられた。
今日は石巻日赤に眼科の定期検診に行く。現在は「花粉症」や「ドライアイ」などがあり、目がしょぼしょぼで今の状況が、今の自分の目の症状なのかがよく解らない。現在60歳以上となると半数が「白内障」と言われている。私も被災後に「飛蚊症」が出て、目の視野が狭まり、光が眩しいなど、白内障と網膜剥離となりその症状が、震災時の混乱で「インスリン」と糖尿薬の治療ができず、目の悪化に繋がった。震災で少しの怪我も化膿し笹原先生やAMDの大類先生の治療で、最悪の状況から脱出できた。震災により「透析治療」も叶わず亡くなられた方も多いと聞く。自分の身体と非常時の対策は自分がするしかない。私は町の再建と、自己の再建に奔走した3年間があり、病気はその中の後ろの方に回した。その結果、糖尿病からの増殖性網膜剥離の診断で手術を4度、両目の治療で入院したのが2年~3年目の頃だった。
生きていれば人生は何とかなるもので、周囲の人の救いの手がある。自分の人生を諦めては駄目ですね。諦めは悪い方向に自分を向かわせる。新たな恋と愛に向かって頑張ろうっと!
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今日の写真は震災前の旧志津川本浜町にあった「山内魚店」の、商店街のイベントの賑わいです。「タコから」があり「鮭のすり身から揚げ」があった気がする。町内の町民が多く集まり、町外からも志津川の海の幸を求めに多くの人が集まった。今は町民よりも観光客の来町を求めているが、町民が集まらないイベントにその意味があるのか、私は疑問視する。町の進める町の復興がこの方向だからしかたない。こないだ知人が「商店街の物が高いと町外の噂らしいよ!」と言う。私もそう感じるので、お客さんや支援者へのお土産は買うのは、他の町内の店から買う。
2枚目の写真は歌津の商店街で、プロスポーツ団体から300枚ものフラックが、応援と支援で贈られた。5年目を迎える大震災に多くのメディアが「歌津地区から放送します」と伝える。歌津地区の住民の「郷土愛」を私は強く感じているが、時代の流れは子供達の成長と共に、次世代の流れの更なる継続をお願いしたい。
巨人の衰退進む、球団の渡辺代表・オーナー・顧問の三役が、更なる賭博に関わった選手の発覚で、総辞任となり、高橋新監督の更なる苦難があり、新ジャイヤンツの船出となった。
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