2016
03/07

宮城県内の町村の高齢過疎化進む


昨日は小雨の霧の中で町内の変化の姿の撮影に出かけた。
初めに志津川の低地部のコンビニ前から、新しく志津川保育所に通じる道路を見に行く。これまでは八幡様の下から神社や保育所に通じる道路は、震災の志津川市街地の復興整備が五日町の端々に移り、市街地には複雑なう回路が広がった。
次に助作の裏地に嵩上げとなった土盛りの上に、中学校に通じる片側2mの道路が整備されていた。これまでの米谷インターから御前下地区と抜け、市街地を通りアリーナまでの道路の毎日の混雑が、八幡神社下まで中学校下から抜けられ、少しの混雑の解消になりそうだ。新井田地区の国道45号もぐるりと曲がる国道が、中央団地の下を通る新う回路が今整備されつつあるように見える。しかし、新井田から八幡神社下までの一本道路は、う回路を作るのは難しく、朝晩の通勤の混雑解消はまだ程遠い。
次に志津川中学校のう回路を見にゆく。通学路としての役目ながら町内の人達の多くはこの道を通り、仮設商店街の飲食店や御前下の量販店へがあり、その先の登米市への買い物に多くの住民がこの道から向かうだろう。助作上水道の形はまだ残っていたものの、BRTの気仙沼線の線路後の道路利用施設は、今後「松原公園」の災害復旧の嵩上げ整備の為に、撤去されていた。道路のたびたびの舗装工事も何度も場所移動となり、JR東日本のBRTのバス高速輸送も無駄な経費の掛け過ぎがあり、戸倉までの駅整備に多くの経費を掛けた方が、志津川までの鉄路の復活さえ可能だった気がする。
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次に防災庁舎の状況を見に行く。3.11が今週の金曜日とあり、多くの慰霊の方が今週末から訪れ、防災庁舎に団体で向かい追悼の気持ちを表していた。遠くからカメラにその光景を収めている若者がいた。私も周辺の変化を28.3.7の日の姿として、将来に残した。
最後に志津川東団地に住宅再建の姿を撮りにいった。まずは東工区からで災害公営集合住宅の状況と、戸建は年度内の完成に向け工事の加速を見た。今度は向かいの西工区に行くと、フェンスで覆われ見る事ができなかった所は、先行の土地譲渡となり既に住宅再建ラッシュとなっていた。地元建設会社は2社確認できたものの、ハウスメーカーも多種多様で、まるで「ハウスギャラリー」のように、大手の中に聞いた事の無い会社も多く見受けられた。施主を見ると知っている方々も多くあり、新たな場所で生活の準備が進んでいた。セキスイ・ダイワなど高額なメーカーの大きな建物に、その建設資金の大変さを思った。三世代家族や水産業に従事している方が多く、町づくりの中心になる人達の再建に、将来の可能性の部分に触れた。
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南三陸町の被災者再建の力の姿に、高齢者との融合で「被災地の再建と安定」で、暮らしやすい町を全国にアピールして行く。仮設からの被災住民の再建での移転は、震災から10年後と予想が関連機関から出された。仮設の暮らしのままで亡くなる町民も少なくなく、震災から二次避難・仮設生活と、国と行政の震災復興の在り方と、その長期化に計画の失敗を思う。
毎年のこの日「3・11」を、私を含めどういう気持ちで受け入れたら良いか、分からなくなってきている。

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