2016
03/05

自分で仕事を作り 仕事をして税金で支払われる 最大の安定受注だ


今年の元旦に本浜漁港に行った時の写真ですね。こんな構造物は見たことが無いと思っていたが、その内容が解った。新井田川に架かる大森と本浜を結ぶ「曙橋」で、8.7mの防潮堤の上に造られている為に、巨大な覆いで包まれていた。これまでにない津波災害の再生整備事業で、市街地整備も一歩ずつ進み、29年の3月と志津川市街地の土地整備も、震災から丁度6年目となる頃に、土地が換地され土地地権者に譲渡となる。私も後継者もいなく市街地低地部の60坪の再建を、「やるか、やらないか?」どうしようと考え始めている。事業資金も自宅ローンと設備資金の支払いもあり、三重苦は避けたいが限られた人生、何かを残したいが趣味の分野とも重なり、経営は運営の利益に繋がるかと言うと厳しい。
昨日、中小企業の販促事業の補助金の書類が商工会よりきた。以前、この補助金申請の手伝いをした事があり、50万が上限で三分の二が補助される。販促となると「チラシ」「看板」などが考えられるが、「自社でのチラシの作成は駄目だ」と言う、自分の考えでの販促の一部だったが、無理だった。町は「見える化」を実施している。町民に紙ベースで町の復興を告知すると言う。勿論カラー印刷によるもので、自社でのデザイン制作、印刷は外注で関連会社へでは、入札には勝つ事など到底無理である。こんな会社事情で自社の利益分を削り、入札に挑戦しているが、若い新しい感覚の技術者がいないと、将来への会社継続は出来ない。これが我が社の最大の問題ながら、全国の同業者が同様の事情に苦しんでいる。
申請書類はホームページで書類を引き出すが、多くの書類が一気に出た。その数は80枚にもプリンターから出てきた。必要なのは3枚ぐらいなのに、私の60歳のパソコン技術では結構ハードルが高い。
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南三陸町にも「100均一ストア」が欲しい。登米市佐沼に行けば3店舗あり、100円でだいたいの生活用品が揃えられる。南三陸町への出店は人口の関係の購買力が少ないために、出店は厳しく何よりも既存の商店への弊害ともなる。しかし、住民生活の大変さからも新時代の商店の出店は、子ども達の為にも叶えて欲しい。町を離れた子供たちの学校生活環境の良さに比べても、不便な街の生活は学力低下とも繋がり兼ねない。小中高と生徒の減少に歯止めが掛からない現状がある。志津川市街地の被災者の住宅再建が、28年度から本格的に始まり、町外の仮設で暮らしている人や、広い地域に散らばっている「みなし仮設」の方が、どのくらい南三陸町に戻って来るかが、町の将来に係っている。5年6年も被災から経ち、子供たちは他の地区での生活に慣れ、再建は生活環境に不安な故郷よりも、子ども達の生活の環境の良い今の所と言う家庭も少なくは無い。子ども達の知能の低下や対人関係の社交性の衰退も、平時でも大変な学校事情があり、被災地での生活は子供達が安心して暮らすには厳しい。友達がいて仲間意識を持ち「一緒に生きたい!」と言い、新しい南三陸町の町づくりに取り組んで欲しい。
東工区の東の「福祉枠の土地」の15区画が昨年夏に整地され、土地譲渡となり「8軒」が現在までに完成し生活が始まっている。
行政の被災者への住宅地の土地整備さえ早ければ、他の土地に行く人も減ったと思っている。土地の売値を格安譲渡に、住宅建設の補助をもっと充実させれば、町からこんなにも町民は出なかったし、町の将来を担う子供達も維持でき、労働者が居れば商店・事業所など企業誘致も可能になった。しかし、もう遅い! 観光と交流人口を増やすしか、町の存続の道はない。一部の人達が喜ぶ町の姿に変わってしまった。
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