2016
03/01

女川町の復興の考え

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女川町の復興の若きグループの一員として、これまでの震災からの再建に取り組んだ、蒲鉾本舗高政・取締代表室長の高橋正樹氏の話に、南三陸町の新しい町づくりの在り方と、今後の取り組みの姿形のヒントをもらった。
女川は鉄道での町づくりを考えたと言う。過疎の町のイメージの女川駅は終点の町だった。しかし、全国に繋がる線路であり、「女川町を始発に全国に町を発信して行く!」と言う。女川駅についてJR東日本は「駅を自由に造って下さい」と言われ、無人駅として、三階建て「湯ポポ」も造った。
震災前に「10013人」が住んでいた町は、872人が津波で亡くなり8.7%の人口が減り、その数は11人のうち一人が亡くなったと悲劇を伝えた。
駅から見える「日の出」をブログにアップした所、多くの町外の町民が「町に帰って来たい」との気持ちになった。と言う。現在6千人の人口が減少している。その現実を受け入れたと言う。定住人口が減るのはしょうがない、「プチ移住」など定住も増え、起業する方も増えている。5月には仙台市から女川町への「直通」も開通し、人を繋いぐ。そんな中でBRTのデメリットは判らないが、と前置きした上で。
現在、ライブスタジオを造ろうと思い、「酒と肴の音楽の町」を目指している。3月26日のイベントも企画され、石巻駅では何でもすると、「増便」も考えていると言う。電車だと3万・4万・5万人の人を呼び込めるが、はたして「BRT」で2万・3万人を集められるだろうか?。女川町は駅の整備により、人を集められる状況を作ったと言う。現在は1.5倍の観光客が町を訪れるようになったとも話す。
仙台と女川間の直通便は、町民の「40年来の夢」が叶う事とた。前置きで、女川と南三陸の町は同じよう所と言い、震災を「自分たちはチャンスにしないといけない!」、こんな考えで若者たちは震災復興に取り組んだ。と結んだ。
一気にこれまでの震災からの歩みを10分で語った。「鉄路再建の集会」の来場者には、しっかり高橋さんの気持ちが伝わり、盛大な拍手が送られた。
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