2016
02/04

広大な町の再建工事


昨日は旭ヶ丘団地の西地区東工区の造成の為に、左側の登り坂が通行止めとなり、臨時のトラック道路が一般車も通れるので、1年以上ぶりに行って見た。工区への入口ができ、ここから高校裏の高台造成地まで被災した住民の、80戸の自己再建が始まる。
中央区も若い世帯は時間を置き、最後に再建するとの話を聞く。しかし、我々のような高齢者世帯は、「時間が無い!」、一日も早く建設を終え両親を住まわせたいとの気持ちが強くある。

南三陸町の45年後の人口は町の総合計画の中で、「4300人」を何も政策を講じなく、そのままに推移する数字と言う。町の人口減少の為の「教育育児環境の支援」や「観光による交流人口拡大」「雇用対策としての企業の誘致」などの、政策を実施する事で、減少は「7200人」まで抑えられると言う。あてにならない町の想定は今も続いている。
ここまで町の描く復興計画が進み、今さら後戻りもできず、時間を掛け町の整備を進めて行く。各自治体では、時代は街の「コンパクトシティー化」を模索し、広大な町の設計は薄れている中で、町のあった市街地の整備と、住民の住む高台の整備ははたして必要だろうかと思う。公共施設の再建は全て復活させ、完成したら「委託管理制度」を活用し、町の管理で無く財源支出を削減すると言う。年々減少する人口の町は、過疎化の町に進むだろう。施設の委託業者はいるだろうか、「箱物」の管理維持は町の財源の枯渇とはならないのか。

私は考える。2年前後での町再建の構想を計画していたら、人口はある程度確保されたかも知れない。町の住民サービスの低下は巡回バスの有料化から、今年度始まって行く。
住民の多く住む市街地の整備を、5mのかさ上げを実施し堤防は10mで整備し、国道整備によるかさ上げ道の二重防御で津波対策をする。浜々の地域も集約し中規模の街の形成を図る。多くの工事現場は工事の時間と工事費を要する、誰の為の町の再建工事なのか、人が住んで街であり、住む人の少なくなった場所は「集落」でしかない。昔のような賑わいは一部の人たちの生活の為である。そんな気がしてならない。
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町民全体は「先祖を守る」。こんな意識を30代ぐらいまでは強く抱いている。そうした意識が代々続き、町の発展と歴史が築かれてきた。町の将来を考えた街づくりを本気で考えているのか疑問だ。子ども達の減少もこれからも続き、こんな町に将来の可能性を抱けるだろうか。人任せの住民の町に愛着はないだろう。

私は祖母と叔母と暮らした「千葉家」を守ろうとここまで来た。甥・姪などは6人いて、その子供達も5人いる。この両親の子供達が「血を継ぐ」、これで千葉家の家系は志津川町から居なくなっても、しっかりと私の血も継続されていくのだと、途切れる訳ではない等、「千葉家」の永遠に続く事を願い、今を納得しようとしている。

街にこだわってここまで生きて来たが、私はまだ先祖に恥じない生き方をしていると胸を張りたい。

町長さんここまで来たら、現在で14年目の65歳、あと10年は続けて下さい。そこで自分のやってきた事を検証して、復興計画はどうだったのかを確認して欲しい。私のしてきた行動と言葉が間違いなら、私の財産を町に寄付しましょう。
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