2016
02/01

我が町にあるのは思い出だけ


頭の中の希望が夢が崩れ去って行く、そんな夢を見た。体の急激な悪化となって行く姿が、夢だけのものでない現実が近づいていた。朝方にその夢から目が覚めた。しかし、こんな時が後10年目か20年目に来る。160201_070631.jpg
新築住宅の「見学会」の情報が、チラシとダイレクト郵便で我が家にも届いた。志津川地区の高台の東地区東の15世帯整備の一軒だった。町立南三陸病院の隣りの地区で、福祉枠としての早期の土地提供地で、チラシには若夫婦と子供たちの4人の笑顔が輝いていた。
この地には4~5階建ての集合住宅と戸建が現在建設中で、戸建は年度内の完成を目指し、志津川地区東地区での集合住宅として、大きい物が28年度早期に完成する。地元の建設関係者は年末年始もないと話す。
我が社の築20年になる建物のトタン屋根が、「錆びてもうもたないよ」と建設関係者に言われ、昔から付き合いのある塗装店の社長に声掛け、あれから3か月が経つ。社長も子供の為にと仙台での生活を決断し、古里のお得意さんは二の次かも知れない。
今日から私は黙々と個々の生活に集中したい。「継続は力なり」と自分の信念は変わらないけど、全てからの撤退は余りにも寂しい。
昨日の二日酔いと、家庭の環境のトラブルが発生し、その他にも電話が来て何度もベットから起こされた。その体調最悪の中で、早期の解決にと父と話し、親戚筋の東松島市に住む電気会社に、修理の手配をした。「問題の早期解消」は私の、問題を後回しにしない性格からだ。父の部屋の管理は家の事に関する、会社環境に次ぐ家の問題であるからだ。両親には「もういいよ、頑張らなくても」と思う反面、「一日でも長く」が心の片隅に渦巻く。

今日はパソコンに集中して向かう。

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