2016
01/02

新旧交代


震災後から続いている志津川町内の状況を写真に収め、町内・全国への発信の為の活動の28年の始まりである。年々大きな変化が志津川地区にはあり、昔の再発見も出来る。こうした生まれた町が復興して行く節目に生きられた事を、貴重な体験として後世に残したい。

元旦のこの日は7時に日の出を見て、実業団マラソンを午前中テレビ観戦し、午後から志津川町内を廻った。初めに志津川高校に向かい旧志中跡地の今を撮影した。1月30日の「還暦同級会」に写真を載せる為だ。その後は中瀬町第2期仮設から1期仮設を通り、水尻川の河口から荒島と建設中の水尻橋の橋脚を撮影した。その前の鮭の捕獲施設はもう終了なのか、死に絶えた「鮭」の無残な姿が捕獲箱入口にあった。生なる川への帰還に対し、人間の人口放流での自然の惨さを感じた。
一番目標だった生まれた地区「本浜町」を見に行くと、10mの防潮堤? 志津川地区内は「8.7m」の津波防災対策としての防潮堤ながら、市街地は10mの嵩上げにより再生を図っている事により、どちらの高さで整備するのか良く解らない。写真には5m余りの旧防潮堤が津波被害の残骸が今も残っていた。その後ろには新しい津波防災の防潮堤が真っ直ぐに大森地区まで続いていた。八幡川は両岸に「河川堤防」が、造成地と三陸道の残土が堤防の形となり、市街地には天高くピラミットのように残土が積まれていた。旧志津川魚市は再建が進んでいたが、本浜の船揚場は未だに海水の中にあった。
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今度は高野会館の前から防災庁舎に向かい手を合わせて来た。そして、ここには必ず来る! そこは志津川地区の津波避難場所の「上の山緑地」で、嵩上げによりその高さは同等となり、志津川湾の市場・水面が見れないまでの嵩上げにより光景が一変していた。知人が同じ考えか写真を撮り、八幡神社にはお参りに訪れる車が駐車場にあった。市街地の何もない中央の交差点はやはりコンビニだった。

こうして1時間30分の私の新年行事は終了した。今日は温泉に行く予定だ。28年も自分の描く理想に向かい、楽しく我が人生を悔いなく生きようと努力を続けたい。


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