2015
12/31

年末年始も休みなし?


志津川の市街地の3つの高台移転場所の東地区東工区の、福祉枠と言われる15区画の一つが完成し入居となったと、メディア(新聞)が伝えていた。震災から4年10か月も掛かり、一次避難場所から二次避難、仮設そして「終の棲家」への生活再建までの長い道のりだっただろう。しかし、災害公営集合住宅・戸建と未だに完成を見ていない。来年度には総ての災害公営は完成となり、直ぐに待ちかねたように「どっ!」と被災住民が入居する。入居や土地希望をしていた人たちも、長期の建設計画期間にしびれを来たし、待ちきれないと町を去り、その減った住居を埋める為に行政は必至だ。また、造成・建設費の増額と帰還が減った事で、入居価格の土地取得・借地の金額が上がる事を私は心配している。

今年を振り返ると、良く考えると今年は目の安静で正月らしい正月はしなかった事に気づいた。健康と体調の管理に父の事と共に自分の体調維持を考え生活している。父には無理な事や転んだら大変と、口を酸っぱくなる程話している。私は三食を決まった時間に食す事と、朝のトイレには無理せず時間を掛けて排便に努め、一日の牛乳の摂取を欠かさない。入浴はぬるめの温度で半身浴に心掛け、冬は脱衣所・そこまでの場所は暖かくして浴槽に入る事に努めている。何故かと言うと、こないだ熱い浴槽から急な寒い脱衣所で、身体に違和感を感じ、そこから寒い自室で異常な発汗と、急激な体調異常に苦しんだ。「糖尿病」と医師に指摘された「血圧が高い」との体の状況から、心筋梗塞と脳梗塞の危険があるから気を付けて下さいといわれた。こんな事から自己管理に努力している。「両親を見送るまでは死ねない!」と自分に言い聞かせ暮らしている。仲間達も気を付けて生活して欲しい。還暦の60歳を迎えるのだから、25人の早くして逝去した同級生の分まで、長く生きましょう!

各室内にカレンダーも張り、新年を迎えるばかりとなった。蒲鉾と正月魚の「ナメタ」を煮て、餅とアンコは東京の叔母が贈ってくれた。リビングには佐沼の氏家のおばちゃんからフクジュソウの鉢を貰い、正月らしい雰囲気を造れた。私には餅もアンコも身体に毒ながら、少しは食べたい。三食のご飯とみそ汁とおかず一品で十分ながら、1500円のオードブルとビール350を6本は、私の為の新年のお祝いとした。
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今年は年賀状も書き全て投函した。こんな年は震災前からもなく、年末まで仕事で苦しむこれまでの生活とはおさらばした。なんとかゆったりした年末年始を贈れている。大自然に囲まれた「南三陸町志津川」で最後まで生き暮らせる事に感謝したい。「2015年よさようなら!」だ。
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