2015
12/30

毎年の恒例にならって


年末の28日に志津川大森の星さんが電話をしれた。「さつきが咲きました、みんなで集まり卵酒でお花見に元気を貰いました。」こんな話題をくれた。

志津川魚市場から大森の高台に通じる入口の高台に星さんの家はあった。自宅から下は津波で全ての家が流され、一部損壊や電気・水などのライフラインが崩壊した。約10m以上が地区の入り江までに津波は到達した。家にあった100鉢ものつつじが流され、今回そのうち30鉢が残った。その1鉢の一つが今年の暖冬と言われる温かさで花芽がほころびたと言う。楽しい事や嬉しい事があると、大森の近所の人達が集まる場所でもあった。
大森地区の老人会の仲間が寄り合い、津波以前は一人暮らしの地区のご老人に季節の行事として、大正琴のイベントやお弁当を振る舞うなど、活発な活動は震災前に仲間で開催していた。今回の津波により仲間の一人が亡くなり、震災から2年後の3回忌にあたり、みんなで市場に集まり花を海へ流し、線香を手向けその供養もおこなった。
地域の活動は震災後も続いていた。地区の12人が寄って12月28日は恒例の餅つきをすると言う。星さんの自宅に向かうと小高い家の方から「コツン・コツン」と音が聞こえてきた。聞き覚えのある音で35段ほどの石段を上ると、臼と杵を使った餅つきをしていた。現在は「餅つきは大変」と時代は餅つき機へと変わり、寂しさが増していた。「今日は八臼つくんです。」と言う。子ども達も参加し小さな供え餅を作っていると、ふざけて餅で遊ぶ子におばあさんの「怒る声と手が飛ぶ」、こんな地区の営みが昔はあったが今は薄れている。
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初めは「きなこ餅」で、臼で搗きたての餅に「黄粉」を塗し、砂糖を掛けたもので、子供達はモジモジと「食べていいよ」のおばあちゃんの声を待つ。「ふざけてないで」とストーブ前での子供を危険と叱る。私もお相伴で今年初めての杵搗き餅をご馳走になった。「あんこ餅もあるがら食べていがいよ。」と星さんが声を掛けて来た。こんなにも地区民が集まり正月前の行事が、震災後も繰り返している事に安心な気持ちが芽生えた。

私の家族の理想は、子供が祖父母から日常の中で色々な事を学ぶ家庭があり、そんな中で私も育ち、「して悪い事」を学んだし、昔から家に伝わる習慣・行事ごとを自然に身に着けていた。今は核家族が世間で増加し、被災地ではあたりまえのように、以前の三世代家族が祖父母と息子たちと孫の二つに分かれる。こんな状態が恒常化している。

だいたい今年の用事を済ませた。年末年始は静かなお正月に千葉家はなる。
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