2015
12/26

南三陸町歌津の先人たちに謝罪


今回で4回目の歌津「西光寺」へ、歌津の観光振興・女性参画活動の基礎を創った、伊里前市街地に食堂と旅館を立ち上げた「大衆」さんの大女将の、高橋せつさんの葬儀に参列してきた。歌津地区の女性で一番目に車の免許を取った事でも有名だった。孫の弔辞で「ばあちゃんに色々な事を教えてもらった」「学校に行く寒い冬は洋服をストーブで温めて着せてくれた」など、せつ祖母さんに「ひ孫を見せられた事が嬉しい」と言う。これがこれまで家系を引き継ぐための、普通の営みだったが、現在はこれが無くなる時代が展開されている。国の人口が減り、地方が疲弊する日本へと向かっている。「後継者維持」ができなかった私もその一人になっていた。先祖に申し訳ない想いでいっぱいだ。しかし、今後は町の為と先祖に報いる活動を最後まで、命ある限り続けて行こうと思っている。

伊里前川を遡った津波は西光寺から更に2K先まで達した。田束山に向かう川沿いに犠牲者はいなかっただろう。家は少ないが「津波が来たら直ぐに逃げる」、こうした習慣が先人の言い伝えであった。歌津地区民は約100名の死者がでたが、津波の襲来が無いとの家に帰った人たちが死者の大半だったと聞く。

昨日は会社の忘年会を、今年の3月に4年目の3・11時にオープンした「明神崎荘」さんで、社員と二人だけの忘年会を開催した。牡蠣鍋が食べたかったが色々なお膳の品に舌つづみを打った。一緒になった東京のお客さんとの話は「仙台の歌声喫茶通い」だった。足を伸ばし南三陸町に宿泊してくれたありがたい。「最後まで無線で避難を呼びかけた女性」の話になり、遠藤未希の話は今での伝説として日本国民の記憶に残っていた。彼女の震災での死は今後も多くの人へ、「津波の恐ろしさ」を伝えていた。「未希さんの民宿取れないんですよ」と話していた。仙台への何年も続く歌声喫茶通いのお手伝いに、「未希の家」の橋渡しのお役に立ちたいと思う。

一人でも南三陸町を訪れたいと言う方の、お手伝いも今後の私の活動の一つです。
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