2015
12/25

シーパルピア


女川町の商業エリアの「町開き」が16日に開催された。鉄道の再建がありメディアがそれ伝え、若者達中心で復興の形ができ「還暦は物言うな」として、次世代を築く若者が町起こしに「再建」に立ちあがった。真実の町の事を考え、そこには「私的我欲」「しがらみ」「自分達のみ」と言った指摘は、町民から上がらない。こんな町づくりは我が町には難しいようだ。

昨日も「鉄道の再建」の諦めの町長の姿が、今年の出来事としてテンビに映り、震災遺構の県への丸投げ、一部業種の早期の再建に町が積極的に介入する。女川の「第三セクター」による再建事業があり、関わる人達の復活意識の拡大が見られる。我が町では廃業・再建断念した事業所は200軒を数える。伝統・名産品の再建にもっと町の支援があれば、「頑張ってみよう」と言う人が増え、人口もここまでは落ち込まない。何とか人口の維持はできるだろうとの「甘い想定」があった気がする。
昨日の報道にも隈氏の町との係わりで、南三陸産材の東京オリンピックの参入を期待する記事があった。全国の林業家もやはり同じ事を望んでいる。国会議員の地元材の普及にオリンピック組織委員会への働きかけがあるだろう。大成建設グループと隈研吾氏の共同建築は、経費と建設期間との戦いがあり、そう容易い参入は厳しい気がする。

女川の商業エリアは7mの嵩上げで再開した。その風景は志津川市街地の「港町の景観」と言う、隈氏の計画に何処か似ていると、その姿を見て思った。ショッピングモールの商店街はその計画での建物ながら、他の商店は規制も無く、一般の事業する方は使い勝手の良い設計を、再建予算を考え構想している。

そう言えば昨日「熊」が志津川の荒町にでた。何かの予感なのだろうか? 町の復興はこれ以上の町の疲弊に繋がらない事を願うばかりだ。

また長年お世話になった歌津の名士の奥様が亡くなった。歌津商工会婦人部会長であった。ご主人は町の議会議長をしていた。決してさげすむ事無く私に難しい会話をしてくれた。こんな町議会議員が町には居なくなった気がする。
母が気にいられ「千葉さん」と常に指名があった。行くと店でラーメンを二人でその度に食べた。その時の奥さんの優しい言葉に触れた。先人が町の基礎を造ったが、もうその商店街はなく、歌津は後回しと商業エリアの町開きにも貧弱な物とにりそうだ。「小さいけどキラリと光る町」と言葉だけは立派だ、
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ベットの母に父が寄り添うように、町ももっと総ての町民に寄り添って欲しく、将来の子供達に「ツケを回さない」、そんな町づくりに取り組んで欲しいものだ。
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