2015
12/13

自然の力を見た


最大級のエルニーニョが赤道上に発生している。赤道の洋上の海水温度は「30℃」と言い、日本近海の海水温が「2℃」も上がり、海の変化が進んでいた。日本海の越前カニ漁もエチゼンクラゲに変わり、今度は軟体生物がその網を覆う。サンマ漁も漁体が小さく、郵便局のユウパックも最終を待たずやめた。秋サケの回帰も昨年は6割に留まり、気仙沼市小泉川の採卵も何とか「1千万匹」になったと言う。南三陸の目標の1千万匹は達成できないと、4年後の秋サケの水揚げの減産を懸念する。

オースリラリアの「エアーズロック」のような山ながら、これは伊里前の市街地に積まれた土地造成の残土です。これが市街地の嵩上げの基礎となる。
次の写真は志津川市街地から戸倉折立の入り口で、以前から幾度となく発信していたが、波浪による波が国道45号を覆い被さる。ちょうどこの場所を通った時に、「バサン」と波が車を襲った。運転手である私は経験があるので、準備心もあるので驚かずに通行出来た。観光客が時期を波浪警報を問わず、我が町を訪れる。町の役目として「交通の危険解除」は当然ながら、あの震災からこの場所は何も変わっていない。
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行政も県の河川事務所も何の対策無にここまできている。事が起こってからでは遅い。

ある仮設の自治会長さんがお風呂で「孤独死」していた。こんな話しを昨日聞く。物資の配達で一回お目にかかったが、元気そうだった事を今でも覚えている。こないだ道路に掲げられた葬儀の名前が気になってしょうがなかった。以前から気軽に声を掛け合う仲の人だった。震災となりめったに会う事が無く、疎遠となっていたが、戸倉地区の大恩人の息子さんだった。まだ65歳と言うが「自分の死期を悟っていた」と地区の方から聞いた。「安らかに眠って欲しい」「合掌」です。

被災地に自然の脅威が未だに続いている。と先輩と話した。心への影響と生活の変化による身体の異常と意見は先輩と同じだ。周囲の人達も生活の為の変化が襲い、行政はその苦労を知っているのだろうか。住民への精神的ケアを本当に行っているのだろうか。私の仲間だけではないと思う。

この3世代家族も登米市に移転していたし、また新しい3世代家族が登米市に住居を構えると決めた。
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