2015
12/12

父の背中が小さく、しかし偉大


放射冷却の為、朝の寒さが身に染みる季節となった。
そんな朝、外の流し場で台所の流しのゴミ受けを洗う父がいた。「昼間やればいいのに!」に、無口で? 聞こえないのか無心に洗い続けていた。
昨日は父の兄弟の一人健在の弟が家に来た。食道の何かが気管に入ったのか、咳が止まらなくなり、3分もせき込んだ様子に、父が背中をさすって上げた。「いいがら!」と叔父は制止する。
父と叔父には互いに私の小さい頃から「確執」があった。父は次男ながら2代目として会社を守り、叔父は40年も船の機関長として働く、環境の違いと立場のせいと二人で会話する事など以前は無かった。父が75歳・叔父が55歳の頃から、そのわだかまりが解けて来た。お互いの環境を理解し、何も言わないで互いを尊重し気遣った。老い・病気も経験し、生きる事が何なのかや、これまでの「わだかまり」の意味がたわいもない事を悟ったからなのだろう。共に高齢となり静かに「ゆったり」と余生を過ごして欲しい。

最近考えさせられる事を聞いた。50歳・60歳とまた若いのに、「余命」「不治の病」「前途」など、信じられない言葉を知る事となった。競争社会の中で共に生きてきた同志の病気に唖然とした。自分の置かれた状況なら、どんな気持ちで今を、これからを生きて行くのか、その心情の持ち方を思う。

私は昨年の年末年始の「失明の危機」を、東北大学の丸山先生に救われた。この時の心境を決して忘れない。会社どうしよう、私の守るべき事はできるだろうか、など、「どうこれから生きれば」を考えた。これを思うと今の状況は「何も怖くない」がある。生きていれば良い事がある。
「小さな旅」を朝見た。筋委縮症の御主人を15年以上も看病している妻の姿に、私には驚きしかない。共に家庭を作り「夫婦の絆」の深さに圧倒された。現在、母の施設入所と父の家の世話など、今後を思うと大変ばかりを思い、どんな心情で対応すれば良いか、まだ心の持ち方を考えかねている。60年間をともに志津川で生き、40歳まで私の支えであった両親、誰が守るかは私しかない。まだまだ共に生き送れる時までは。


朝7時、残った「牡蠣」をお吸い物にしようと、向かいのコンビニで豆腐・糸コンを買ってきた。「おはようございます」と駐車場で声を掛けられた。誰か判らないが女の人で、挨拶の言葉に一人ではないと、心で思った。決して私には出来ない「技」です。
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