2015
12/10

多くの町への支援の姿を残そう


震災後の支援は町・地区・組合・学校・避難所など、多くの町民の為に世界・全国から、金銭・物品・精神的な支援が贈られている。しかし、表に出る事はまるで少ない。
今回の南三陸病院の建設に22億円の、台湾赤十字組合から義援金が贈られ、新病院の屋上にある「緑十字」は、その証なのだろう? こないだ広島・山口の方々の支援があり、戸倉小学校・戸倉中仮設に行った時に、仮設住宅の片隅のプレハブにこんな看板を見つけた。豊橋市ライオンズクラブで、戸倉地区の獅子踊りの道具が納まっていた。目立つ事を目的にしない支援があり、これが全国からの声を出さない応援なのだろうが、「支援の感謝」を伝えるべきと思う。志津川中学校の震災時の感謝の冊子があり、その最終ページには総ての学校への支援者の団体名・個人名が明記されていた。町への義援金は「名前を出さないで」の声に応え、議会でも好評されず、一部の行政職員と幹部しか把握していなく、完全な所在を使い道などは、町長と行政だけが知っている。「不正があってもわからない?」と、震災後に議会でも議論されたが、公表は支援者の意向とて表にでる事はなかった。感謝の気持ちを支援者に伝えたのか? などの議員の声も当然と思う。数十億もの町への直接義援金は、町民に均一に配分されたと理解するしかない。
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話しは逸れたが、志津川高校の戸倉出身の生徒が、高校の地元の伝統芸能の「高校芸能大会」で、宮城県一位となり上の大会へ進んだと新聞に掲載されていた。生徒の伝統に対する限りない活動と、伝承する指導者の賜物と、素晴らしい結果に拍手を送りたい。
昨日の新聞にも志津川高校の新たな活動があった。南三陸町の産品や自然、そして震災を将来への継承にと、「かるた作成」があり、地元の小学校に寄贈したという。これまでも「モアイ化計画」が高校の情報ビジネス科での活動があり、缶バッジ・マグネットなどの開発・販売で、町の巡回バスの購入に繋がった。
我が母校の同級生も大津波にあい、卒業アルバムも流出してしまい、来年の1月30日の還暦祝いに合わせ、「志高アルバム復刻版」を作成した。中学校のアルバムも一緒にした。表紙には震災前の志津川市街地をカラーで載せ、その裏には今の志津川市街地の嵩上げ風景を入れた。みんな喜んでくれるだろうか? 作成費の2千円で希望者に渡す。原価で商売させて下さい。
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