2015
12/06

知らないうちに我が町が変わる


家族の事と会社の事そして自分の健康を中心に、南三陸町志津川を考え、時間があれば町を探索するが、平日の工事現場の状況を写真で撮影し発信する事は、トラックの復旧工事の往来と、う回路の再編との中で運転もだが安全な復旧中の場所は危険がいっぱいだ。
昨日震災前の「大森町営住宅」の跡地を見て来た。防潮堤は着々と工事が進むが、まだ時間が掛かりそうだ。新しい市場の建設も年度内の完成と聞いたが、年明けとなりそうで「初セリ」は新年には間に合わないだろう。大森地区の震災を逃れた場所には、新しくう回路ができ工事の進捗での道路がまた整備されていた。

志津川の水産業の再建となる「造船所」も大きく整備が進み変わっていた。産業再生は加速しているが、住民の住宅再建は観光地・水産加工場と共に進められ、この部分は確実に期限まで嵩上げ造成整備は終わるが、同時期に住宅地の整備があり、引き渡されても住宅建設に入っても、建設は順番で遅い人達は3年も掛かるだろう。最終が29年3月であり30年度に入り、震災からの復興再建までに被災後10年の月日が掛かる、そんな南三陸町民も少なくはない。「大変な町」と私には写る。
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朝から電話がきた。「マイタウン情報の件なんですけど」と言う。復興祈念公園の整備についてだった。「築山はどんな用途で整備されるのですか」と言う。先月の志津川町造り協議会の中で、「避難が遅れた人が避難する場所」と定義づけだった。「そんな避難で丈夫なんですか?」と話す。当時地震から30分での大津波から、「住民と観光客が避難できるのだろうか?」との疑問は当然だ。町民も約800人が亡くなっている現実で、津波体験をしていない観光客が、迅速な避難行動がとれるのだろうか。6mの大津波警報の「津波増幅」が16mで最高位で戸倉地区の25mにも及んだ事を、行政は把握しているのに、津波防災の町で「職住分離」の政策は、被災地支援の観光客の有事に対応できるのかと言うと難しい気がする。
震災時の避難予定他の海抜8~10mの場所でも、多くの町民が死んだ。市街地の整備には「避難道路確保」が第一で、「ショッピングモール」と「復興祈念公園」からの津波避難道の確保と整備経路は完全かと言うと厳しい。住民と観光客を完全に守る整備をしない「南三陸町」は、震災復興の町としてアピールする事は間違っている。

「また想定外」と言う事はもうできない。「人の命は戻ってこない!」、この最大の目的に、またしての町財源の確保のための、観光と町整備を主体のトップの考えに町民が「ノー!」と言う時期に来ている。今月20日午後1時30分からアリーナで、「復興祈念公園」の住民説明会がある。また、広報の同じページにまた「パブリックコメント募集」があるとの告知、防災庁舎の保存是非でも町民の14%でも住民の意見で、そのうちの6割の「保存」とする意見に、町長の決定に疑問ばかりだ。最低でも町民の40%の意見集約があり、「住民の意見」として成立しないと私は思う。こんな結果に議会での行政への反論があっても当然だか、与党が半数以上を占め「議会制民主主義」の元、政治戦略による議会体制があり、町民の代表の決定に、異論があっても疑問視しても、「町民の自己責任」である。
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