2015
12/01

29年まで生きて


昨日はお得意さんが来てくれた。南方で暮らす方で、夫婦二人三脚で志津川で頑張っていたのに、震災で生活が一変した。
我が家も震災後の生活で母の認知が加速した。倉庫での生活は父が介護をし、夜昼ない「下の世話」は夫婦だからこそできる。疲れ切っての施設の入所を役場職員と話し、福祉連携していた登米市の職員(志津川在住)の方に大変お世話になった。こんな事があちらこちらで聴かれるようになった。
仮設生活者も同様の環境に変わっていた。仮設での二人の生活の中で、近所の人達もバラバラとなり、会話・買い物などの人との絡みが希薄となり、「認知」に繋がるケースが多い。
「ゲゲゲの鬼太郎」の作者、水木しげるが亡くなった93歳である。転んで頭を打ち「硬膜下血腫」による多臓器不全だ。母も施設のベットに頭を打ち同じ状況となったが、施設に戻れた。主治医の「様子を見ましょう」はこんな可能性を秘めていたのだろう。しかし、無事に帰って来て、静かにベットにいる。ここまで来たら「復興祈念公園」の完成と、整備された鎮魂の森を車イスを押し見せて上げたい。29年は後2年、何とかなる気がする。
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町の方向を決める「10年間総合計画」は、集まった地元の代表による協議の結果、人口のILUターン者の受け入れ環境の充実と、地域のコミニティーの整備など、町長の決まり決まった構想を、指示した町の総合計画を立てた。
在る方が「みんな仲間内の決定だから」と、改革なき決められた内容と、将来の新しい思考の欠如を嘆く。「小さくてもキラリと光る町に」と言う。光る町は「福祉と観光の町」と言う事と、これまでの町づくりの姿を見れば判る。漁業も農業も商工会も町の復興交付金の元なくしては何も出来ない現状がある。
復旧工事・町づくりの工事を長引かせ、自己の利益の延命と私は思う。「復興集中期間」があと4か月で終わる。総ての住民の「終の棲家」の最終確保は、今後2~3年掛かるだろう。事業所が半分となり40社が新しく生まれ、町には「240社余り」となったが、復興が終われば復興建設特需で生まれた事業所は消えて行く。永続性のある事業所は住民の生活意欲で誕生するが、事業主の高齢化と跡継ぎ問題など、解決の可能性と存続は厳しい。

「空しい!」心の空虚感が日々募り、反骨精神を薄れ、怒りのエネルギーも「ガス欠」となってきた。「まだやらいよ!」との激励も笑って流す自分がいた。
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