2015
11/25

南三陸町なにかおかしいぞ?


昨日は町の事を語り合う事ができた。志津川仮設商店街は今日も多くの観光客で賑わっていた。朝のラジオでもアナウンサーが「南三陸町には新しい商店街の外構工事も進み完成したら是非行って見たい」と話していた。被災地の復興の姿を全国で見守っている。震災後良く聞いた言葉に、「南三陸町の復興は東日本大震災からの復興の象徴です」だった。
南三陸町の輝かしい復興があっても、人口は減少し高齢化により将来を不安視している。町が出来てもこれまで暮らしてきた住民の心は、震災前のようにはならない現実にぶつかる。人が家庭が目の前の現実に押しつぶされそうになっていた。
しばらくぶりで西地区西工区の場所の道路を通った。一年前の囲いからこんなにも新しい土地が露わとなっていた。災害公営住宅の基礎工事の光景も見られ、来年度に迫る完成時期に向かい、住民の再建の場所の確保に建設会社が期限まで完成を目指す。この場所では災害公営住宅が「22戸」と、防災集団移転が「22戸」の住宅と土地の整備が進められている。西の東でも入居の抽選があり各々の希望の場所も、住民の希望が全て叶う事は難しい。仮設の入居の抽選も混乱したが、土地抽選は余り騒ぎとはなっていない。「悲しみ」「憤る」「諦め」など、町への怒りよりも「何処でもいいや!」との言葉が聞こえてきた。東区も住民の土地の決定も進んでいた。終の棲家や事業の再開など将来の為に、「当たる」「外れる」の抽選の中で、家庭なりに将来への展望を描いていた。中央区は3段階に分けて土地の提供があり、南三陸町で最後の土地の引き渡し場所である。ここまで復興の姿に興味を持っているのは、自慢ではないが一町民として私ぐらいなものだろう。皆が自分の事で精一杯だからだ。
入谷地区の発展の更なる加速を知る。町で初めてのビジネスホテルが来月オープンとなり、土地の造成での住宅の建設の話も聴き、学生の研修センターの増築話も伝わってきた。誰が主導しての町づくりかと言うと、個人の努力と企業の目論みと被災地支援があった。町の企業誘致の話は「スーパー再建」だけで、町が生み出したものではない。ゴミの再利用も多くの住民雇用とはいかないようだ。
最近、チラシを見ると気仙沼の「社員募集」を良く見る。事業所の再建や市外からの企業の立地も見られ、南三陸町の雇用状況とは大きく違っていた。若い人が町を離れ企業の求める働き手がいない、こんな将来への希望の一部が欠落した町の今後を考えると悲しくなる。
問題が発生したら早期の確実な対策で、被害を最低限にできる「初動」の対応が、震災後に我が町では出来なかった事が、今の状況を生んでいる。千年に一度の大震災だからは「逃げ口上」としか感じない。
政治家は日本を考えると言うが、自衛隊の装備の拡大へと防衛大臣が米国に視察に行き、総理は自分の示す考え達成に向かい、「マイナンバー」「最低賃金千円」など、国民に「飴と鞭」を使い分け突き進んでいる。政権政党のやるがままで、野党の力は地に落ちている。こんな日本で幸せを掴むには、自分で防衛そして努力とで、納得できる生活形態を生み出すしかない。
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今日は仙台に行く、この行動は人助けであり自分を守る為でもある。
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