2015
11/17

なんだかな~


阿藤快さんが69歳でベットで眠るように亡くなっていた。動脈瘤破裂・胸腔内破裂だと言う。2日前まで普通に仕事をして、背中が痛いとの状況もあったが、突然連絡が取れず「おかしい」との周囲の判断で、妹さんが部屋に入って見つけた。ひとりで暮らす怖さがここにある。こないだも町内の仮設に行った折にこんな話を聞く、「同級生が仮設で死んでいた」まだ65歳前後の方だと言う。被災地では多くの悲劇が報道される事無く、静かに被災町民が誰に看取られる事無く死ぬ。町の復興の姿を示す意味でも、こうした暗い出来事を表にする事を「良し」としない。また個性のある年の近い有名人が逝ってしまった。
志津川沼田地区、横山駅裏・南方仮設を廻り長野からのネギを届けた。一人の自治会長さんは、小さな物を送り御礼の葉書を貰ったと言う。こうして被災者との交流が最大の成果だと思う。
玄関に「ネギ2本」を置く、これが被災者がまだ多い事を示している。「ネギ欲しい」と直接的な声に生活の苦しさを感じる。また、3世帯家族が登米市への移転を決めていた。「働く場所はあるの?」が第一声で、「無いようです」と答えるしかなかった。
現在、南三陸町で厳しい生活環境で暮らす人たちは、最後まで生活は大変だが、生まれ育ったこの町で今後も暮らす事を決めている。しかし、町外への仮設で暮らす人たちは、生活環境も整い仕事も豊富にあり、沢山の選択肢を持つ場所に暮らしたいと思うのは、話しを聞く限り当然であり、それを誰も否定する事はできない。高台造成となる来年度で居住地が整備され、仮設の集約もあり、帰って来ても生活が成り立たない、南三陸町の生活環境で帰って来るのは、一線から退いた高齢者と、復興と行政に働く人達だと思う。

5か月ぶりで「防災庁舎」に合掌してきた。この姿でイイの? が第一印象だった。今日も被災地「南三陸町」に多くの復興支援で人が来る、防災庁舎の錆びた鉄骨の柱に、亡くなった人たちの「供養塔婆」が巻きつけられている現実を、嘆かずにはいられなかった。線香には火が付きボウボウと燃え上がり、何で仮設でも良いから慰霊台・塔婆建て・囲い等を町が整備しないのかが不思議だ。「県有化」になった為と、もう町の管理下では無いのか。町長をはじめとした残った職員で出資し建てる気持ちが無いのかと思うし、町民に資金を募り来町者に恥じない、慰霊の場を仮設置出来ない物かと、今の防災庁舎の姿を見て感じた。
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