2015
10/18

南三陸町志津川の大切な人がまた亡くなった


昨日のお昼ごろ友人の一つの電話が来る。「確認して欲しい」との内容で、情報が分かりそうな人たちに電話を入れた。保険でお世話になっている工藤さんが以前から親類と聞いていたので電話した。にぎやかな場所らしい声、「突然だった」と言う。元議員の西城さんも神社の役員をしていたので電話があり、幼稚園の会場からのようだった。皆がビックリする方の死は私も大きな支えを失った。
上の山八幡宮の工藤祐よし先生で、私はおじいさんの祐雄大先生の時代からお世話になり、父親と2代続けて会社を助けていただいたと言っても過言ではない。
高校の2年4組の担任として、多くの迷惑の中で大目に見てもらい進級ができた。国語・古典の先生で苦手な教科ながら、「優しかった」。怖そうな凛として態度で、笑うと笑顔がいっぱいとなった。高校卒業後は三浦陽太郎先生や多くの先生に可愛がられ、地元「志津川」の千葉印刷のご用命に預かった。
工藤先生は「和歌」に精通し、自費出版をして制作も何冊がしていて依頼され、奥様の本への取り組みは推敲に推敲を重ね、幾度となく御邪魔をして迷惑をかけた。また、選挙では今だから言える指導を頂き、「お前がこれまでやってきた事を言いなさい」と、選挙カーにまで携帯をくれた。
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町の八幡様として志津川地域民から慕われ愛され、伝統を守り続けた大きな人が亡くなった。震災後は南方の1時間も掛かる場所に追いやられ、氏子の仕事や町の地鎮祭にわざわざ志津川まで足を運んだ。4年7か月が経つが、高台の自宅は10日前頃に完成し帰って来たと言うが、そこから見える市街地の様子は赤土の山だけだ。何と寂しい悲しい風景と大先生と工藤先生は映っている事かと思う。(合掌)
二礼二拍手一礼も不幸の時は手を敲かないも、御祖母さんが亡くなれた時に教えてもらった事を思い出す。
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