2015
10/07

「ごはん まーだ」


第3回目となる「南三陸町福祉まつり」が先週の土曜日に開催された。
11時30分ごろに出掛けたが整理番号で「226番」だった。「餅まき」などの前半の行事や吹奏楽などの応援もあった割には、来場者の少なさを感じた。しかし、ベイサイド周辺は来年度以降は災害公営が5棟でき、土地造成の後で住宅再建も始まり、400世帯ぐらいがここに住む事となり、志津川住民の一番大きな街となる。災害公営は平均年齢が「70歳」と言われ、福祉社会がここにある。今回の高齢者や障害者への、関係施設・介護用品の展示ブースが設けられ、生活支援の相談会も開催されていた。高齢者の町となる南三陸町には欠かせない活動です。
「輝き劇団」は、認知症世帯の家族が抱える問題の解決策としての寸劇を、行政の「包括支援センター」の職員が演じてくれた。高齢者とお母さんの会話で、祖母が「はらへったなー、ごはんまだ・・」と嫁に言う。「お母さんさっき食べたでしょう!」と話す。10分してまた「ご飯・・」と言う。何度も繰り返す母に「おかあさんまたー・・」と言い返す。これが二度三度を続く。会場からは笑いの中に、今の現実が事実ある事を体験している人は真剣に見入っていた。私もその中の一人で、一つの提案と解決方法として演じられたのが、何度もくる祖母に「お母さんせんべいでも食べてて」「ご飯できたら声掛けるから」との言葉で、母のご飯が食べられないイライラを、柔らかく落ち着かせる対応がこここにある。ついつい家庭仕事の忙しさの中で、優しさの無い言葉を向けてしまっている事に気づかされた。祖母の認知は病気であり、強い言葉で何度も叱るような口調は、病気として見た「認知症」の悪化となる。上手く病気と付き合う方法を教えてくれた。
我が家でも震災後に、倉庫の不自由な暮らしの中で、母の認知症が一気に進み、身体の不自由と重なり、父の母への介護が始まり、家事などの昼間の疲れと心労が、母をベットでの力ずくの梗塞へとなり、少しの間家族の苦しみがあった。私の毎日の会社再建での仕事の疲れから、夜の就寝ができない事に力による行動を取ってしまった。父の一日の介護から比べれば、夜だけのいっしょの生活はまだ楽だったかもしれない。こんな環境に生きて来た私たち家族にとっては、町の高齢者の家庭の見回りと指導は力強いものとなった。この寸劇から4年前の出来事を思い出した。現在は母を施設に、父は週2回のデイサービスに行きはじめ、バラバラながら個々に安定した生活環境の中で暮らしている。
必ず家族が通る道、介護との上手い付き合いは、行政の支援を活用する事と、民間の施設を知りお金は掛かるが利用する事で、家庭の平安と心の安定を生む。何も知らないままでの両親の認知は子ども達にとってはショックでもあるが、現実を直視し向き合い事で解決が出来る。
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