2015
10/02

町民は志津川市街地の復興状況を把握できていない


志津川小学校の登校坂の現在の状況を写真に収めた。五日町の写真中央の電気会社まで津波が押し寄せ、命と家の生死の狭間がこの地区ではここだった。しかし、志津川を離れ、生活が一変した家庭があり、低地部から残った自分の小さな土地にプレハブを建て生活する人もいる。志津川での子育てを諦め新天地に生活の場を移した社長さんもいた。こうした町の再建に必要な人達を、町に残す方策を考えないままに、復旧復興を進めている行政があり、昔の町の「人・暮らし・伝統」を何とか守る事をしなかった。これで新しい町はできるのか? できない!

昨夜の雨があり今は強風が町を通過している。三陸沖は「暴風警報」がでて、漁師さんの仕事は無理だろう。私の不安ばかりの急ごしらえの家も、1年半を迎え特別な問題は発生していない。
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同じ場所から町を望むと防災庁舎がある。この場所では生死の狭間に職員・町民が漂った。生き残った町長・副町長と職員が、生還し通った道路も瓦礫まみれのこの道路と、震災以後に聞くが、投げかけられた言葉に厳しい言葉があった事を、命からがら避難した志津川地区民に聴いた。誰しもが町の当時の避難対応と、避難の呼びかけなど防災対策の不備を日が経つにつれ、町民たちの空しい声を聴いた。今は諦めの言葉しか聞こえず、自助での自宅再建を進めている。

「国破れて草木深し」と、この写真の風景からも感じる。隈氏の市街地再生の構想図があるが、そのようにはならない気がする。自己の出着る限りの商店建設があり、昔ながら漁村風景はない。
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