2015
09/27

町への自分の思いを綴る


高校を卒業後に兄の跡継ぎの放棄があり、自分の進む道を会社跡継ぎを選択した。ある意味で苦労の少ない物に自分の道と決めながら、日々の仕事と自分の好む事ができ、苦労なく若い時代を過ごしてきた。
印刷業の技術の革新を自分が全て会得し、事業の継続をしてきたが、私生活の確立を怠った事が、今の将来不安に繋がっている。結婚に対する願望は人一倍あったものの、出会いの場をめいっぱい?努力をせずにここまできて、これからの家の跡継ぎの千葉家家督の役目を達成する事が難しくなっている。父の「申し訳ない」との気持ちに胡坐をかき、今の自分を形成してきた。
決して今の自分を全否定せずに、今も継承の模索を続けている。挫折してしまったら人生の終わりで、「生きはしていても死人」と自分に言い聞かせながら被災地「志津川地区」で暮らしている。

生きる目標の一つに「城洋新聞」さんの社長の突然の逝去による、町民に変わって情報を伝える事があり始めた。城洋社長の足元にも及ばないが少しでも町民に町の情報を伝えたいがあった。「マイタウン情報」は当初週一で色々な情報を載せ、購読支援もあり約30名の理解者の元で始まった。震災前まで第100号を達成した。
同様に「マイタウン誌」も年4回冊子として発行した。仲間・同級生の理解の元で支援の輪となり、「第43号」まで発刊できた。
総てが東日本大震災で会社・自宅の流失により、継続ができなくなった。しかし、「被災地だからこそ住民は町の復興の情報を求めている」との、自分の役目を自分なりに行動に移し、先月で「復興第41号」を発行した。現在は発行月三か月前の一か月間の町の復興と町の現状を伝える事を主体に、自分の動きの中の情報を伝え、町民の一人として取り組んでいる事を記事にしている。「マイタウン情報」楽しみにしてくれる読者の為に、新聞を取っている購読者にチラシとして配布してもらっている。本分は仮設で暮らす新聞も取れない方への情報を伝えたいが、物質的に会社状況もあり出来ない事を理解してもらいたい。
今後は高齢者も「パソコン使用」は、自分の生活防衛の為にも必要と私は思う。人口減少と高齢者の街になりつつある「南三陸町」「志津川」寂しい限りだ。
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