2015
09/21

志津川市街地の嵩上げの風景


昨日の好天で上の山から市街地の嵩上げの進捗を見に行く。上の山に添うように国道45号の一時的なう回路が10月1日に開通する予定だ。嵩上げと市街地の国道整備はう回路となる道路へと、再度整備され本格開通に向け進む。
以前まで上の山の下を通っていた水道管は、緑地公園の真ん中を通り縦断するように、旧山根地区へと続いていた。被災地の状況を見る為かマイクロバスが一台、上の山の志津川保育所駐車場に止まっていた。この日の市街地の風景も震災直後から、「瓦礫の原野」と「土盛りの原野」と違いはあるものの、住民の暮らす市街地へは4年半が経つのに何の変りも無い。「生みの苦しみ」が今と言うが結果的には町民が志津川から去っている。町民の為の町づくり復興ではなく、町長と仲間たちの町づくりとの感じが、私には強く感じる。
新井田地区の孤立する残った家々がそのまま在り、29年度以降となる新井田地区(中央区)の再生は、震災から10年を要する気がする。新井田地区は町内で一番多くの住民が亡くなっているのに、住民の死亡に報いる町の再建策としては、死者の納得は得られない気がする。今後も町の変化を伝えて行く、生きる限りパソコンが使える限りだ。
会社のホームページを作成した従業員が、震災1年後に雇用し2年間務め、我が社のホームパージを、震災の経過を発信するために素晴らしいデザインで公開していた。しかし、1年半前の突然の退職でホームページが止まっていた。今回、美里町の会社にHP作成を依頼し、4か月を要し新たな物の完成に至った。1年半の震災の経緯の総てとはいかない物の、3年半の町の変化を伝えた。時々は町を考える情報として活用し、真剣に町づくりの在り方と、町の再建政策の取り組の検証を住民で考えて欲しい。
「南三陸町マイタウン情報」も41号を発行済で、毎月第二日曜の発行をしている。これまでは会社再建と自己の健康状況で不規則な形で発行していた。私の新聞を楽しみにしていた、南三陸町の80歳を過ぎた方がこないだ亡くなった。町の変化を私の発行する新聞で確認していたと聞く。南三陸町内の志津川・戸倉・入谷・歌津地区に「1700枚」を新聞広告として配布している。以前は協力者に「1枚7円」の低価格で仮設にも配布して頂いた。しかし、経費を考えると個人的にも厳しく新聞広告だけでの配布に切り替えた。本当は仮設生活の被災された方への「無代紙」としての配布が本意ながら資金的にも無理となった。
できればHPで町づくりの町の取り組みの推移を、全部とはいかないが見られる。弱体化の被災事業所の支援もある。事業所も人口が減少する中で何とか経営を続けている。建設業の復興特需が終われば、新たな町の衰退が見えてきそうだ。
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