2015
09/16

戸倉地区を昼間通り気づいた


震災後に車検は登米市津山町柳津の自動車会社に頼んでいた。親戚筋の方が震災で家を無くし家族を亡くし営業で来たからで、2年5か月前に志津川商工団地内に工場を移し、震災以前から車検をしていた車会社に昨日頼んだ。広く多くの人を助けたいとの活動に限界を感じている。突然「車どうするの?」電話がきた、事訳を話し理解してもらった。
10時からの石巻日赤病院の診察に9時に出掛ける。水尻川の高架橋建設があり、折立川もこちらも同様の工事が進んでいた。戸倉地区に大きな鉄骨工場が建設されていた。これから進む橋などの再建工事での鉄骨需要にこたえる為の工場なのだろうか? 戸倉滝の沢の被災地に積まれた盛り土の合い間に、工場が出現していた。震災復興はあらゆる方向で進んでいて、私が復興の全容を理解するには難しい。時々町の隅々まで歩かないと益々解らなくなっている。
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石巻までの途中までは変化がないが、津山町に架かる柳津大橋から大河「北上川」を望む、一昨日より水嵩は減っていたが、大雨の宮城から岩手での降水が大崎市のような決壊とならなくて、津山地区の住民は安堵しているだろう。
石巻日赤病院は隣接地に震災後に、震災の体験館のような施設と、地域拠点医療機関としての増築を図り、本吉郡の手前から入る道路が、建設中は通行止めだったが、建設整備が終わるに伴い10月1日から解除と言う。昨日の45号線からの病院への来客は、今までない渋滞が駐車場まで続いていた。玄関に直接だったので15分掛かったが、駐車への患者は30分から45分は要した気がする。病院内の患者は何時もと変わないのに、工事のせいとも言えなく不思議な渋滞だった。診察科に行くといつものように大混雑、志津川からも2・3人知っている顔を見た。顔を知らない人も多く、我が町からも紹介状による患者が確実に多いと思う。
新設「南三陸病院」が完成しても、地元の患者を含め町民の患者が増加となるかと言うと、厳しい経営が待っている気がする。私は地元の個人開業医と、登米市の元主治医を信じ、眼科も登米市に通う。病院は石巻日赤で治療の高度を求める時は大学病院を紹介してもらっている。父は志津川で本格治療は石巻に行き、心疾患でペースメーカーと治療は石巻で、定期的な診察は週一で来てくれる心臓内科の先生に診てもらっている。母も施設で町の病院の定期検診を受け、こないだは仙石病院に1か月入院した。国民健康保険の支払額が来た、「57万」の金額に驚き、日本の「国民皆保険」の恩恵に感謝しかない。
昨日は家を出て帰りは3時と、6時間も通院に要した。こんな生活がこれからも続く事となる。

常総市の不明者の「15人」は何だったのか。「全員の確認ができた」との結果に、県と市の被災者の把握に多くの疑問を思うし、「災害での混乱」との説明にどこの自治体も災害には万全ではない事を知った。いたずらの不明報告も1件あったと言う。こんな大災害の中でも10数軒の「泥棒事件」が発生していた。我が町でも大震災の中で震災泥棒が発生し、逮捕とはならなかった事がある。人間の醜さがあり、これでぬくぬくと生きている人間が成功いるかと思うと、人が生きる事の意味を考えてしまう。
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