2015
09/08

登米市の良さに行く事が多くなった


人との繋がりを再構築する事は私に取っては近頃苦痛となっている。故郷「志津川」で暮らす事の大きな意味は、仕事があるからで生活の糧となっている事が最大の理由なのかも知れない。行政依存の今の生活は、町には我が社を応援していた「お得意様」が他の町に移転し、事業者の廃業もあり日々減少している。そんな中での生活は守りとしての生き方へと変わった。時々の神頼みを幸運を引き込んでくれた。登米市の小さな神社であった。

日曜に「そこまで言って委員会」に安倍総理が出演した。30問のイエスとノーの答えは、真剣に日本を考え、将来の日本構築しようとする姿を見た。民放のテレビに出て政治の綻びが出ないよう、一語一句を注意しての発言にも笑顔を欠かさなかった。
「戦争法案」ではない! と言う。メディアも一部の国民も過剰に反応するのは、「原爆や戦争は嫌だ」との多くの国民が死んだ敗戦国としての反省がここにある。
戦後70年の日本総理の談話に、「次世代の日本の子ども達に戦争謝罪や反省行動を引き継がせない」との強い発言に、安倍総理の真意があり感銘を受けた。記憶に残るのはこの部分だけだ。これまでの過程の説明に疑問を持ち、国家秘密がポロポロ出て来る事で政府への不信感と、米国議会での先走った発言が、今の国会を更なる混乱へと引きずっている。強行採決となると強権政治と取られるが、国会規則手法を使い頭を下げ真摯に訴えれば、理解してくれる国民も増える気がする。
強権・強行・我欲・金欲・・・など、利己主義の強すぎる人間は未だに好きになれない。
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登米市南方の「道の駅」の売店では、地元の牛乳によるソフトクリームや、仙台牛の里「南方産」の牛肉串焼きが売られていた。道の駅には農産品や味噌や米など地場産の物が豊富に店内にあったが、さすがに海のものは少なく、我が町の道の駅の目玉はそうなると「海の幸」が主品となるだろう。農家は置き去りとならないような、道の駅の在り方を商工店主だけでなく、皆でその決め方を話し合ってほしい。全て町民はその見張り番として、横暴な行政や商店主の特別視した結果とならないよう、注視しないといけない。町民皆の町づくりであり、商店や仲買の町づくりであってはならない。
登米市にはその他にも「米山」「米川」「迫」にも道の駅があり、山の幸が地元の人達の買い物の場所となっている。志津川の道の駅となるのだろうが、観光客相手では商売としては限界がある気がする。
震災直後の仮設商店街の震災景気の継続は難しく、新たな営業戦略で観光客の獲得を模索していく事で、大金を掛けた出店者の保護に繋がる。町民も大きな顧客として考えて欲しいが。大手
スーパーの29年の出店は大きな影響をもたらすだろう。
志津川地区の商店街も29年の整備の完了と、自元でも商売の競争が始まる。
現在、市街地の嵩上げした大地には、新しい国道となる位置に舗装の準備がされてある。後一年が早いか遅いかは関わる人達にとっては、特別な思いがある。町を離れた町民にとってはもうどうでも良い事のようだ。

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