2015
09/07

災害公営住宅の20年後に光と影が


昨日の朝に地響きと共に大きな雷があった。雨も降り北の低気圧と南の高気圧による、停滞前線が列島の南から北へと続く、この状態が昨日に千葉県に竜巻を発生させ、その被害は津波を彷彿させる。
「ダウンバースト」の異常気象も一週間前に小さい物ながら自宅で感じた。二階のサッシのドアが一瞬の突風で開き、何度も鳴る不思議な音で気づいた。また、土曜日には午前中だけで3回の地震を感じた。多くの自然の現象の異常に地球的な異変は間違いなく起こっている。地震で言えば小規模な物は大きなエネルギーの発散であり、大地震の発生を低下させていると言われている。
幸いには南三陸町は異常気象での被害は無く、場所的には平穏な地区と言え、津波を除けば住みやすい所と言えるかもしれない。
気仙沼のとある高台で、造成が始まってから2年位で宅地整備と災害公営住宅が完成し、現在住宅建設ラッシュとなっていた。平坦な山を選択し高台移転の場所とした事が、早期の住宅再建に繋がった。ハウスメーカーも繁忙期前と多くの建設現場があり、地鎮祭も2つ3つと掛け持ちする神主さんの姿を見た。
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気仙沼市の災害公営住宅の入居者推測では、20年後には空室が半分になるとの報道記事に目が止まる。全ての被災の小さな自治体で人口減による、同様の現実が待っている。自然死と出生低下による自然減が日本に過疎指定の自治体を、今後人口減少の波が襲う。南三陸町も20年後、さらに25年後の時には人口が5千人を割る。政府の地方都市の抜本的改変を考え、余計な国費の投資を社会保障に蓄積して置いた方が、現実を考えれば得策と私は考えてしまう。
こんな将来像は私の町づくりには無かった。二世代三世代が共に暮らし、子供達の声が飛び交い、若い夫婦の笑顔がそれを見つめ、祖父母は静かに余生を送る。こんな状況で永続とはいかないが、少し長く維持される町づくりを想定していた。当初約4千億円と言われた復興交付金の使い方に、頼もしささえ感じていた。しかし現実の厳しさに、町づくり計画は何なのかと思い始めた。4百戸から5百戸とも言われる災害公営住宅は半分になり、維持費も大変だが、中国の人が住まない高層住宅街のゴースタウンを思い起こす。
岩沼市のとある地区の町造りは、平坦な地区で地域が津波で流出し、3K内陸に2mの嵩上げで、地区民が中心となり市は当初口を出さなかった。半年後に再建計画が決定し、2年で整備が完了し、震災2年半で住民の住宅再建が始まり、現在は以前に負けない地区形成へとなった。1700人居たが1000人にまでも減少した。近隣が大都市とあり移転は2年半でも加速していた。最終的に住民の提案に行政は各地区の復興の公平を図る為に、全て住民の構想どおりはならなかったが、住民のアイデアと資金・労力で、自分たちの理想の町を造り上げた。こんな昨日のテレビに我が町の再建の在り方に、多くの間違いと行政主導ありきが感じられ、多くの住民活動は町のパフォーマンスの造られた場所だけと感じた。
我が町で言えば平坦な「入谷地区」がそれにあたる。水田が広がる地区で1mの嵩上げで、1年半で被災住民の再スタートの場所の整備ができ、こんな人口減少を生まずに済んだかもしれない。町の描く戦略的な町の復興に溺れた結果が、多くの町民の南三陸町からの脱出となり、高齢化の加速に繋がった。住民の為の町づくりではなく一部の住民の為の「行政の行政による行政の為の町づくり」である。
私も小さいながら自宅と工場も、維持して行く事は「20年前後」と予想する。同じような現実の中で楽しく生きたいと思っている。悲しい先の事は考えまいと言い聞かせながら。
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