2015
09/05

60歳を迎えようとする私には先の見えない町づくり


昨日は歌津石泉まで納品に行く。途中で見つけたのがトンネルで、たぶん三陸道の通過道路に下にあたる、道路の交差点部分だと思う。45号と平行し走る高速は「山と山」を繋ぐ高架橋が見えない所に建設されている。予定だと今年度は小森まで、次に商工団地までと、一年度おきに北へ北へとインター建設が完成へと向かっている。4年後の「63歳私たちは生きているだろうか」との話で昨夜は盛り上がった。

10歳上の兄貴たち二人の突然の誘いに、将来の町と自分たちの話で盛り上がった。病の淵から12日ぶりの復活と冷たいビールは最高だった。料理は家では食べる事の無い店の味を色々楽しんだ。少しずつながら、エビチリ・ゲソサラダ・冷やしうどん・ギョーザ、続いて焼き鳥・焼きそばと、アサヒスーパードライを3杯飲んだ。当然、朝の空腹時血糖値は「205」とだいたい予想どおりの値だった。こんな事をしていたら兄貴たちのように70歳までは生きられない気がする。でも楽しい夜だった。
南三陸町の志津川には気軽に飲めるところは無く、人目を気ずかっての席に横山「さくら」さんでの会だった。
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多くの電話でのやり取りは、10月11日の秋刀杯剣道大会参加と、同級会の会費集め、知人に働く人を紹介してや、2軒の納品と用事色々。そしての飲み会だった。11月中旬に「一泊旅行」も段取りをと言われ、4人での今年の汗流しの旅を企画する事となった。こんな事をするのも何年ぶりになるだろう。
今日は「大安!」、南三陸町にも「地鎮祭」を行う方が多いだろう。被災地全般ながら土地造成も完成率が5割を超え、各被災地の再出発の地鎮祭が今日のような晴々しい中で開催できる事を願いたい。
歌津枡沢の災害公営住宅の設計ミスと、議会で町長が認めた。建設設計会社と住民との「桜植樹祭」が5月にあった。終の棲家と決めた町民の災害公営住宅への入居での、雨漏り・カビの発生は住民の町への不信となった。
私の住宅建設の二重払い分も、自己の努力で弁護士の「戻らないでしょう」との意見から、愛知県の職員の活動により、互いの負担の少なくしての和解決定に一歩と言う所まで来た。自己の努力なしに多くの問題の難局を乗り越える事は無理である。誰も助けてくれる事などしてくれない。町はボランティアの支援・全国から見舞金・寄付などで再建に向かっている。
10年後に人口は1万人、30年後に8千人の新聞報道があり、今度は町長の口から45年後は「5千人」との町の予測報告に驚いた。何も対策の効力無しに合併特例債や更なる町づくりの交付金は、何のための町への交付金かと思う。頑張る企業には応援するとの町の方針は何なのだろう。後ろ向きな自治体には過剰な交付金は無意味と思う。
耐えに耐えた生活で再出発を果たし、次の時代への町民の引き継ぎこそが町再建のカギと私は思う。
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