2015
09/01

早く! 早くッ!


4年6か月が経っても川の流れだけは変わらず、みんなが車で逃げた高台の中学校が見える。土を盛り嵩上げは捗っているようで、盛り土が落ち着き新しい町が出来るまでには、まだまだ先と町民は知っているが待てなく、子供は高校を中学校を卒業し大人になっている。
市街地に「津波避難塔」を小さいながらも造りたいとの考えは打ち消された。基礎を以前の地盤まで打たないと建てられないとの話しを聞く。10mの盛り土の部分から又もとの地盤まで、測り知れない建設費が掛かり、商店再建とて事業主にそんな余裕はない。
日曜に女川・気仙沼・名取の再建途上の姿を見る。行政の再建の遅さに嘆く、新城地区の酒屋さんは新たな再建を、両親と御主人を亡くし、この地で頑張ろうと頑張っていた。ご主人の造った店を思い出に、二人の息子は母と共に昔の店を夢み歩んでいた。名取のおばちゃんはみんなの集まる場所を作り、一人で涙を流し活動をし続け、多くの仲間が寄り添い土地の変化を見つめていた。
山元町は震災後4000人が減少し、町の大半が流出し町自体の再建に苦しんでいた。大部分の市街地からの脱出に車が欠かせなく、車での避難を町では模索し今後の津波対策を考えていた。

町の震災後の再建案に、志津川市街地に二車線での歩道も広い「避難路」の建設と、8.7mの防潮堤と嵩上げも5mだった構想があり、この建設だと、今までに8割は市街地ができていた気がする。志津川湾の入り江の志津川市街地は、6mの津波でも防災庁舎に16mに達し、10mの市街地再健があり、今回の半分3mの津波でも、10mの津波を予想する。町の作り上げ構想する町は再度大被害ととなる。自然の力は益々増す気が私はする。
私の商店再建は慰霊の場として、伝統と歴史を伝え皆が集まれる場所を構想し、新しい町を自分なりに楽しもうと思う。

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