2015
08/26

若かりし頃の苦しんだ良き思い出


今日は朝6時の仙台への出発で、夜中幾度となく目覚め、若い頃の仕事の夢を見た。
我が社のチラシ印刷は一人でレイアウト・製版・印刷と作業をしていた。新聞屋さんへの持ち込みは午後の4時までで、いつもギリギリの持ち込みだった事を思い出す。折込日を間違い「どうしょう」と一人苦しむ夢だった。震災前の町の景気の良い時代は、一週間ごとのチラシがアベロクさん・高光さんがあり、それにパチンコ屋さんと、普通の仕事に緊急のチラシが指定時間までの仕事があった。12月となると「初売り」などで約70枚位のチラシに追われ、睡眠時間は3時間で働いた事を覚えている。若い元気な時の体力は良く持ちこたえたと今思う。当然の事のように日々仕事に追われ、友達との飲み会も無く、まして恋愛や恋人探しなどそんな時間は無かった。

当時のチラシの志津川地区は2800枚と、歌津地区が900枚で、総てで3600枚前後のチラシ配布部数だった。現在は1500枚で、600枚は志津川・入谷400・歌津500と大きく減少し、戸倉は津山に新聞店が移り250枚と、歌津と入谷は変わりは少ないが志津川地区の激減は、人口流出が志津川地域に集中している事がここからも分かる。

今日は忙しい、仙台の病院から登米市の病院へ、そして夜は志津川のスポ少の剣道練習と一日家を離れ、91歳の父に留守をお願いだ。
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