2015
08/23

歌津大橋


歌津地区のここに行って市街地を見たいがあり、こないだ実現した。国道45号の気仙沼からの道路の「歌津大橋」は津波により崩壊した。震災し2週間前後の時期に志津川側からの橋の切れ目に立った。その風景は原爆でも落ちたごとく、荒れ果てた歌津繁華街が広がっていた。晴天にヘリが飛びかう中で、この姿を残すべく記録媒体としての「携帯電話」で、撮影しまくった事を思い出す。震災直後で交通規制もなく、津波で切断した大橋の付け根に立ち、10分以上もそこに居た気がする。道路には車の交通も無く、倉庫にあった自転車で歌津伊里前に行き、一次避難場所となった歌津中に行き、避難した人たちの話を聞き対策本部に、その厳しい生活を伝えた。被災後2・3日は「一杯の水」でしのぎ、その後も「おにぎり一個」の生活が続いたと言い、多くの人が体育会で横たわっていた。
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歌津大橋の反対側に立った、市街地が広がっているが、復旧復興は皆無に近く、仮設商店街が在るだけで三陸道か高台造成の残土が積まれているだけだ。志津川の市街地と歌津の復興の違いに、歌津地区民の感情の行政への不信感は、「もう言っても」との思いの諦めを感じる。歌津の復興を図る商店再建の皆さんは、行政批判の声は聞こえなく反発の意見が、地区復興の妨げになるのではとの思いが粛々の事業を待っている事に繋がっていると私は思う。
北の大橋の切れ目に立つ。「通行止め」の看板が空しく立つ。勿論、歌津地区のシンボルだった「歌津大橋」の再建はしないだろう。事業的には国県の事業で今後人口の減少の町に、その役割を「三陸道」への役割返還で進めている。歌津地区は間違いなく「ストロー現象」となるだろう。そうならないように「歌津皿貝インター」の整備がある。故郷の歌津に帰る人達も三陸道の利便性があり、別に不便な歌津を離れ、他の場所で住民の再建は当然の行動ながら、住民の移転は意外と少ない。その理由は「歌津愛」がその根底にある気がする。
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歌津地区は22年3月で人口は「5181人」で、震災で119名が死亡と不明で、現在は27年5月末の人口が「4545人」となっている。人口減少は516人で減少率は12%ながら、南三陸町の減少率は22%の減少と、「歌津で生き続けたい」との強い気持ちがこの差にある。減少率を上げているのは、志津川・戸倉地区で、住宅造成再建が同等に進んでいるのに、その違いは地区で住む意義がなく、生活の糧は他の地区でもある。がその理由のような気がする。
今日はお盆中の多忙の仕事の休日とした。現在進む国道45号の「汐見橋」の橋脚工事現場を見に行きたい。

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