2015
08/09

志津川市街地の復興の今がここで判る


8月4日に開通した市場までのう回路ができ、大森から本浜までの道路が全面通行止めとなり、防潮堤10mと志津川市街地の嵩上げが一体化して、新しい志津川市街地の整備がされる。
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私が暮らしていた「本浜町70番地」は昔この嵩上げ大地の先に有った。何とか同じ場所に土地が縮小され確保できた。そこで何をするかはまだ構想中だが、今までいた場所に戻りたいと、私の心に強くある。こんな被災地の現状から、こんな事を可能にし実現まで考えている町民は私ぐらいだろう。低地部市街地ができ5年間は何かをすると考える。これから8年位と捉え、その時は67歳を迎える。土地は税金の物納を描くが難しいだろう。
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この道路の頂点から以前の湾風景を望む事ができる。この辺は今から54年前のチリ地震津波が、海岸線を呑込んだ場所の避難場所にあたる。当時5.6mの津波で市街地の半分は浸水したが、土地の嵩上げもなく町の再建がされ、54年目に三陸から福島沿岸で発生した地震で、22mの津波が市街地の町並・歴史を破壊した。私は確実に町民が逃げれる「大型避難道整備」で町を再建する事を望み、津波防災は町民の再建を一早くできる「町つくり」を議会で言って来た。しかし、行政トップは「職住分離」を掲げ、多くの町民が町再建を待てず町から去った。
最後に決めるのは住民で、私は今の結果に全力で町で生きる事を決断している。
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